「ほっ」と。キャンペーン
excitemusic

2006年2月から4月で南極・南米を周りました。7大陸訪問達成!連絡先は以下でお願いします yuheihosono@hotmail.com
by yuheihosono
ICELANDia
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
メモ帳
検索
タグ
(1)
(1)
(1)
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2007年 01月 ( 2 )   > この月の画像一覧

地域コミュニティの役割

僕は東京生まれの東京育ちなため、
近所付き合いというものがほとんど無い
家庭環境で生まれ育った。

でも、昨日の葬儀では、日本で古くから
受け継がれてきた、地域のつながりとか
連帯というものについて考えさせられた。

うちの祖母は88歳でなくなったのだけれど、
嫁に来て以来実に60年以上、
B29が日本を空襲を始める前から
ずーっと同じ地域に住み続けていた。

会葬者の人数読みをしていた時には、
最近は家から全く出れずに近所付き合いも
ないおばあちゃんだから、40人も来れば
十分というのが大方の読みだった。

でも、都会育ちの僕はいざ知らず、
地元育ちのおじさんおばさんも
田舎社会の人的ネットワークというものを
甘く見ていた。

ほとんどたいした告知もしていないのに、
来るわ来るわ、実に列席者100名以上。

入り口で受付をしていると、遠くの家から、
わらわらと喪服を着た人達が出てくるのが見える。

数十年を生きてきた人間の歴史の重みと、
地域における人間のつながりの濃さ、
というものがビジュアルに体現された瞬間だった。

そして、何より地域社会の人間のつながりの意義、を
考えさせられたのは、納骨の際に住職から
もらった説話の時だった。

この住職は、地域のロータリークラブの会員を勤める名士である。
葬儀という一大イベントを通して、その地域住民の家庭の事情から
人間関係、経済活動にいたるまでのデーターベースが彼の
頭には構築されていた。

もちろん、我が一族の揉め事や歴史的経緯も我が家の
誰よりも詳しく把握されており、かつて我が家で起こった
問題なども逆にレクチャーを受ける始末であった。

そして納骨の儀式の時に、我が一族の問題を踏まえた上で、
住職から一族全員に、説話というよりは、珠玉の説教が加えられた。

「おばあちゃんは、苦労して皆様を育てて来られたと一言で
片付けてしまうのは簡単ですが、その苦労という言葉には
並々ならぬものがあったはずです。
戦争や数々の歴史的な苦難の中、一族を支えるということは、
文字通り命がけの困難なことだったのです。
個人の利益にばかり目を奪われていては、
決して成し遂げられぬことです。
皆様、今一度、この事の意味をよくお考えになってください」

伝統的な社会において、住職という職業が地域の仲裁者であり
モラルの体現者であったのだ、ということを改めて見せてもらった
瞬間だった。

祖母の死に際して改めて考えさせられたのは、
かつての地域社会というのが、家族という枠組みで解決できない
ような問題に対して、助力を与えるようなセーフティーネット
のような役割を持っていたということである。

仕事が忙しくて家人が相手に出来なくても、
近所のお年寄りが集まって相手をしたり、
子育てが必要ならば手の空いている人がまとめて行う。
結婚や葬儀があれば周囲が集まって手伝う。
一族に問題が起きても、地域の有力者が仲介する。

現代では、お金を払って解決するようなサービスも、
そもそもは、地域社会ではその域内の人間関係で当然のごとく
カバーされていた事柄だった。

このコミュニティが崩壊しつつある現代においては、
お金でサービスを買うことで解決する問題かもしれないが、
では、いわゆる負け組みの高齢者は、どうするのか
ということが必然的に問題になる。

我々は、誰でも、老いる。
そして、ますます変動の激しくなる社会では
老いた時に、金銭的に勝者でありうるという保障は無い。

そして、もし敗者になった時に、
かつてセーフティーネットとなっていた
コミュニティから受けられるサービスも無い。

膨れ上がる自由と一攫千金への欲望の中で、
伝統社会が持っていたセーフティーネットの
意義を忘れてしまったことのつけが、
今の社会を覆う将来への漠然たる
不安感につながっているのだろう。

もう一度農村への回帰を、という訳にもいかないだろうから、
新たな枠組みを考えねばいけないんだろうけど。。。

どうすっぺかなぁ。。。
[PR]
by yuheihosono | 2007-01-29 17:51 | 日常

最後の贈り物

水曜の朝、父の母親が亡くなり、土曜日にお通夜をしました。

母方の祖母とその兄が昨年相次いでなくなったのとあわせ、

戦争の混乱と戦後の繁栄という激動の時代を耐え抜いた、

一つの世代が旅立っていくのを感じています。

この会社を離れて時間が取れる時期に、

父方と母方の祖母の最期の時間を共有させてもらえたことは、

実に幸せなことでした。

この二人は、性格から最期の瞬間まで実に対照的な

人生を歩みました。

母方の祖母は、陽気さという言葉を体現したような性格で、

どんなところにいても友達を作ってくる人でした。

十分すぎるほど富裕な家庭に育ったものの、

戦後の混乱で家業は潰え、ぐうたらなおじい様(僕には優しかったけどね)

のおかげで、女で一人で4人の子供を育て上げ、

彼らは事業家や経営者として見事に花を咲かせました。

だから、彼女が倒れた時には、息子達や孫も総出でお見舞いに

駆けつけ、最期も無事に親族に看取られていきました。

一方父方の祖母は、伝統とかしきたりを重んじる非常に

物静かな人でした。

父方の実家も、かつて相当な資産があったらしいのですが、

一族共同で始めたビジネスに失敗し、

金銭関係のもつれから、親族同士の関係は分裂し、

先祖伝来の土地も間もなく手放すという状況であったため、

互いに連絡さえ満足に取れないという状況がつづいていました。

祖母が倒れたらしいという情報が、親族の一人を通じて入ってきたのが、

昨年の年末でした。

唯一中立に近い立場で、実家に帰れるのが僕だけだったので

長兄である父の代理として、お見舞いに行きました。

祖母は、もう部屋の中を歩くのも精一杯だったので、

人生で初めて僕から祖母にお茶を入れ、何か自分にしてあげられることは

ないかと聞いたところ、遺言を残したいから父を連れてきて欲しい、

とただそれだけを何度も繰り返し言われました。

体調がよくないとはいえ、何か致命的な病状があるわけでは

なかったのに、その言葉には不思議な説得力があり、

この人は本当に死ぬんだと直感的に理解できました。

必ず父を連れてくると約束し、年末の一番最後と年明けに父と祖母との

最後の時間を作ることができました。(これは、本当に苦労しました。。。)

そして、今週の水曜日、祖母は自宅で倒れているところを発見され、

翌朝病院で親族が駆けつける間もなく一人で亡くなってしまいました。

祖母の兄弟はまともに話も出来ないような状況だったのですが、

さすがに葬儀とあっては、全員顔合わせをしないわけにはいかず、

数年ぶりに一族が顔を合わせました。

初めのうちこそ、本当に修羅場だったのですが、

自分達の母親の遺体を前にしては、怒りよりも思い出が上回るようで、

一日が終わる頃にはお茶を飲みながら歓談をするまでになっていました。

祖母は決して幸せな晩年ではなかったし、

土地も財産も残すことはできなかったのですが、

家族の平和、

というこれ以上ない贈り物を、最後に残してくれました。

母は、やはり、偉大でした。
[PR]
by yuheihosono | 2007-01-28 03:18 | 日常