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2006年2月から4月で南極・南米を周りました。7大陸訪問達成!連絡先は以下でお願いします yuheihosono@hotmail.com
by yuheihosono
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<   2006年 06月 ( 17 )   > この月の画像一覧

<告知>本日より朝時間.jpで旅日記の連載を開始します!

本日から、朝のライフスタイル提案サイト、
「朝時間.jp」がオープンします。
このサイト内で世界各国の朝の風景を
旅の日記と共に伝える”世界の朝旅”という連載を開始します。
http://www.asajikan.jp/wmphoto/morningoftrip/
この2月に訪れた南極・南米の写真や、これまでに撮りためた
アフリカやヒマラヤの写真なども随時掲載していきます。
是非見てみてください!

細野裕平
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by yuheihosono | 2006-06-20 03:52 | 日常

細野家のワールドカップ VSインド人


タイ/バンコクの宝飾展で母と宝石の買い出し。
宝飾展の売り手側には,インド人と中華系の人々が圧倒的大多数。
これにユダヤ人が加われば,ビジネス界のワールドカップが開けそうな
ぐらい商売相手としては手ごわいメンツである。
華僑はそれでも比較的妥当な金額をはじめからいってくるので、
ある程度落としどころの金額というのは想像がつく.

が,本当に手ごわいのはインド人。
おたがいのプロの商売人だからそんなに想定額が違うはずがないのに,
母の希望購買額とインド人の売値の間には2倍の差がある。
通訳のおれとしては ,落しどころどーすんだよ,ということで
ライフカードでも引きたい気持ちになる。

でも,流れの中で母と自分との役割分担ができ始めてきた。

まず俺が通訳としてインド人に値段を聞く。
インド人が法外な吹っ掛けの値段をかましてくる。
俺,母に伝える。
母,イエローカードを食らった選手のような不満の
ゼスチャーをして店から立ち去ろうとする。
俺,さろうとする母をひきとめつつ,インド人の説得。
母,まだ値段が不満なのでさろうとする 。
俺,インド人にファイナルプライス要求。
(しかも,母の言い値よりさらに低めに変更して伝える)
インド人,レッドカードを食らった選手のような顔をするも
しぶしぶファイナルプライスを出す

大体上記のビジネスフローで,母の予定していた金額に
近い数字は達成される。

でも,値段の合意だけで安心しているとしっぺ返しをくらうことがある。
購入予定商品の数を勝手に水増しされて発注伝票をきられたり,
見本品と似ても似つかぬもの(見本とクオリティーがちがうとか)が
おくられてきたりとかは日常茶飯時なので,見本をすべてデジカメで撮影し証拠を
押さえなければいけない。

まったく,一瞬の油断をすれば,大損になってしまう。
日々ワールドカップのような厳しい商売である

でも,このきったはったの感覚は,大企業でデスクワークをやっているより
本当に商売をしている感覚がある。

意外と自分向きなのかなと思った1日であった。

ちなみに,タイもワールドカップもりあがってます 。
出場してないのに,町中のオーロラビジョンに2000人ぐらい群がってた。
a0032888_2105134.jpg

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by yuheihosono | 2006-06-16 02:11 | 日常

タイの宝石見本市へ

明日から、タイに宝石の買出し。
と、いっても再就職したわけではなく、アクセサリーショップを持つ
母親の商品買出しの手伝い。

タイの宝石見本市に行き、通訳として母の購買の手伝いである。

アクセサリー業界も国内の仕入れだけだと差別化が厳しく、
最近海外からの引き込みを強化中とのこと。

過去5年間、IT業界ばかり見てきたけれど、三十路前に宝石業界に
首を突っ込むことに。。。

。。。でも、ちょっと面白そう。

ターバン巻いたインドのマハラジャとか、ヨーロッパの宝石商とか、
あってみたいかも。

では、行って来ます!
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by yuheihosono | 2006-06-14 00:38 | 日常

LASIK検討中

祖母の入院で延期になっていた肩の手術日程が決定。
6月30日。慶応大学の先生のスケジュールが忙しすぎて、
一ヶ月近くも間が空いてしまった。

どうせ会社を辞めて時間があるので、この際体の悪いところを
すべて治してしまおう!
ということで近視の退治のためにLASIKの研究をスタート。

まず、調べたのは失明のリスク。
でも、これは、事実上無いと言っていいようである。
少なくとも、日本ではLASIKで失明したという事故は無いと言うこと。
よって、このリスクファクターは無視しても良い。

でも、もちろん手術である以上、一定のリスクはある。
最大のリスクは、視力が戻らないこと、、、ではない。

視力が一定基準(1.0レベル)にもどらない人と言うのは
比較的高い割合(10%以上)いて、視力のリカバリーは
ある程度再手術を施すことによって可能とのこと。

でも、もっと怖いのは、視力が一定程度回復しても、
見え方の「質」が落ちてしまうリスク。
乱視のように、一つの物体が二重・三重に見えてしまうことが
あるようなのだ。しかも、これは一回おきてしまうとリカバリが
難しい(というか無理)らしい。。。
しかも、角膜の形状が変わってしまうため、コンタクトレンズに
よる矯正も難しいらしい。

この問題の発生確率の統計データーも調べたがない。
アメリカのFDA(日本で言う厚生省)のサイトまで調べたけど、無い。
色々なサイトを見ると、実際熟練した医師と、
最新の設備があれば大丈夫みたいなんだけどね。

結局、FDAのサイトでも言っているけれど、
LASIKがアメリカで認可されてからまだわずか8年。
長期的な影響調査というのは当然存在しない。
結局手術を受けるかどうかは、既知の短期的リスクに加え、
長期でのリスクが未知数であることを受け入れて受けるしかない。

でも、少なくとも現在の技術レベルなら、
術後5年間の安全は受容レベルと言っていいし、現在の技術では
その後のリスクも今のところ理論上も無いから、受容するベネフィット
に比べると受ける価値があるんじゃないかなと思う。

何より僕の場合、世界の秘境を探検する時に、裸眼視力があるとないとでは
生存確率が全く違ってくるのである。。
早朝テントの裏に象がでた時とか、激流をラフティングで下る時とかに、
コンタクトが入ってないから見えません!とはいえないのである。
あとは、これから確実にくる地震の時も、
コンタクトとメガネは探している暇ないでしょ。阪神大震災のときに、
被災者を相当困らせたのはメガネがなくなってしまったことだしね。

ということで、やっぱり、手術は受けるわ。うん。

誰かいい医者知ってたら紹介してください。一緒に言って折半する人も募集中!
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by yuheihosono | 2006-06-12 12:39 | 日常

世界訪問国一覧

アメリカのウェブサービスで、自分が今まで訪問した国を
世界地図上で簡単に色づけできるサービスがある。
7大陸すべて訪問したこともあるし、試しにやってみた。
a0032888_1022263.gif

既訪問国34。まだまだ、世界は広い。。。
でも、日本から遠くなるほど赤くなるところが自分らしい。


このサービスは以下から。Freeです。
http://www.world66.com/myworld66/visitedCountries
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by yuheihosono | 2006-06-12 10:31 | 日常

最期の時間

金曜日の晩、夜七時ごろ叔父から電話がある。
「危険な状態になりつつある」

祖母が入院して以来初めて、一日二回目の病院訪問。
病院に着くと、親族が全員集合している。

従妹から数値データーを聞く。上の血圧が40程度とのこと。
2日前の最高血圧が160だったのだから、どのくらい異常な数値かは
専門知識が無くても分かる。60を割り込むと、きわめて危険な状態との事。

医学的な見地からは、回復の見込みはなし。
僕の到着前に医師からの説明はそうあったらしい。

その後、血圧は悪いながらも60ぐらいで安定してきた。
長期戦になる可能性も考え、祖母の長男と僕は病院に残り、
他の親族は翌朝来ることになった。

母の帰り際、僕はあまりの数値の悪さに、今帰れば死に目に会えない
覚悟をする必要があると伝えた。母は、その覚悟はできていると答え、
祖母に「間に合わなかったらごめんね。」と話しかけた。

母はお店の経営者である以上、長期戦になって倒れるわけにはいかない。
60年来の知己である、親の死に目に会えないかもしれない、という決断。
祖母が一人で切り盛りしてきたお店を受け継いだのが母であり、4兄妹ただ一人の
娘として、他の男兄弟とは別の母と娘だけの思い入れがあるはずである。
でも、死に目に会えないという、究極のリスクを潔く受け入れた母。
その決断には、心動かされるものがあった。

その後、容態は非常に悪い状態ながら安定を続けた。
火のように熱い右手を握りながら、眠りに落ちそうになる。
自分の幼少時、幾度と無く自分が眠っているのを見守り続けてくれた
人を、ついに自分が見守る側になった。
「ここまで育ててくれてありがとうね。もう一人で大丈夫だよ」
心からお礼を言った。

午前4時半過ぎ、母から電話が入り、もうすぐ家を出る旨連絡がある。
どうやら、祖母はみんなが来るまで持ちそうだと、安堵する。
祖母に「がんばれ、がんばれ」と声をかけていたら、叔父が「
もうがんばらなくていいよ、一生懸命がんばったもん」と言った。
返す言葉が無かった。

午前5時28分過ぎ、血中酸素飽和度が91から97へと劇的に改善を示した。
同時に、120ぐらいあった心拍数が60ぐらいへと落ちていった。
一見、数値が劇的に改善していくかに見え、叔父と顔を見合わせた。

午前5時30分、30分毎の定時の自動血圧測定が開始。
が、突如すべてのデーターが読み取り不可を示し、心拍・血圧・酸素飽和度の
グラフの凹凸が消えた。警報音が鳴り、看護婦が駆けつけてきた。
「他のご家族が来るまで持たせますか?」看護婦が必死の形相で聞いてきた。
すでに延命治療を行わない旨一族申し合わせができていたが、
こんな急激な心肺停止は想定していなかった。
叔父と手分けして親族に延命措置をするかを確認。
全員、延命措置をしないということで了承を取る。
この緊急時に祖母の苦痛を増やさない
という判断をしたこの一族の決断力は、本当に見事だった。

電話が終わるや否や、すぐ祖母の戻り、祖母の右手を握り締めた。

アメリカ留学中、自分と兄弟の様に過ごしてきた犬の死に目に会えなかった。

それは、自分にとって生涯最大の痛恨事となっていた。
それ以来、自分の親族のの最期には何があっても立ち会うと、
自分の心に誓っていた。その誓約を実行する時が来た。

医師が到着し、死亡宣告をしたのが5時47分。
それまで蘇生処置は行わず、ただ命の灯火が穏やかに消えていくのを見守った。
一族そろうことはできなかったけれど、長兄と初孫に囲まれながら、
祖母は静かに旅立っていった。

祖母は、無類の元気さとパワーで一族に元気を振りまきながら、2週間前に突然入院。
そして、わずか一日の覚醒期間の間に、僕に遺言らしきことを言い残し、
2週間の心の準備期間を親族に与え、89年の生涯を終えた。
こういう最期でありたい、とこちらがうらやんでしまうぐらい、見事な最期だった。

ばあちゃん、本当にお世話になりっぱなしでした。
最期しか一緒にいられないで本当にごめんね。でも、最期あれだけ濃密な時間を
過ごせて僕は本当に幸せでした。今まで、本当にありがとう!
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by yuheihosono | 2006-06-08 03:40 | 日常

天国までの100マイル

浅田次郎の小説に「天国までの100マイル」というものがある。

バブル崩壊で成金から一文無しに転落してしまった男の
母親が突然倒れ、心臓につながる大動脈に深刻な問題があり
手の施しようがない事態であることを知る。

絶望の淵に立たされた男に、母の担当医が千葉県の鴨浦という
田舎町に世界で最高の外科医がいて、彼の心臓バイパス手術が
最後の希望であることを伝える。

救急車は県をまたいでの搬送ができないため、男は瀕死の母親を
自分の車の荷台にのせ、東京から千葉の田舎町まで100マイルの
道のりをドライブし、母の命を救うと言うストーリーである。

明らかに、僕が昨日訪れた千葉県鴨川にある亀田総合病院を
指すものである。

さすがに、全国の受診したい病院トップの
常連だけ会って、医療を患者へのサービスとする視点に満ち溢れている。
外来棟の入り口には二人の患者誘導係が立ち、更に建物の中には
コンシェルジェのデスクがある。受付のロビーも広い開放的な空間で
中央の広間にはエスカレーターが4回まで連なっていく、ホテルかデパートに
きたような印象を与えてくれる。

何よりすばらしいのは、眺望。
6階建ての病棟の高層部からは、蒼く輝く太平洋と
弓なりに続く海岸の景色がすばらしい。

そんな美しい風景を見ながら、肩の診察を受けようとした正にその直前に、
母から留守電が入った。折り返しても繋がらないので、叔父に電話すると、
イギリスから帰ってきた従妹が電話に出てきた。

祖母が脳梗塞を発症し、非常に危険な状態であること。
仮に乗り切ったとしても、言葉を話せるようになる見込みは無いことが伝えられた。
居合わせた4人の祖母の子供達からは、回復の希望の無い場合延命処置は
行わないということで、合意は取られたとのことだった。

小説で最後の希望として描かれた病院にいる、正にその時に、
自分の肉親が絶望的な状況であることを聞く。

もし、祖母が運び込まれたのがこの病院だったのなら、ひょっとしたら
違う結果になっていたのかな、、、蒼く輝く太平洋を見ながら、
詮無き考えが頭に浮かんだ。

千葉の鴨川から多摩の病院に直行した。
たった一日お見舞いに行かなかっただけで、病状は激変していた。
酸素供給濃度100パーセント、心拍42、血圧最大値160、自発呼吸なし。
今まで回復に向かっていたすべての数値が悪化を示していた。
一日一日、大切に大切に積み重ねてきたものが、壊れてしまった。

脳梗塞で動かなくなったからだろう。それまで祖母につけられていた、
拘束用のグローブがはずされていた。
保育園の時、毎日迎えにきてくれた祖母の手を、四半世紀ぶりに
ぎゅっと握った。むくみがひどくて、僕の手よりも大きくグローブみたい
になってしまっていた。
今までありがとうね、、、それが、精一杯伝えられることだった。
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by yuheihosono | 2006-06-01 10:18 | 日常