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2006年2月から4月で南極・南米を周りました。7大陸訪問達成!連絡先は以下でお願いします yuheihosono@hotmail.com
by yuheihosono
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<   2006年 05月 ( 8 )   > この月の画像一覧

ブッシュが搬送される病院へ

朝から祖母の容態で母から電話。
お医者様と話した結果、生命の危機と言う段階は過ぎたとの事。
でも、後遺症が残った可能性大。右半身が使えない可能性ありということだった。
でも、お母さん、俺、それとっくにお見舞いの時気づいてたよ。
左手を苦しそうにばたばた動かしてるのに、右半身動いてないんだもん。
でも、今回の件は生き残っただけでも、御の字。生きていれば、希望もある。

と、いうことで、祖母の容態はとりあえず緊急段階は過ぎたようです。
これからは、長い長いリハビリの期間です。本当の意味で家族&親族の
結束が試される時期です。根気良く、無理せず、祖母へのこれまでの
恩返しもこめてリハビリにつきあっていきたいなと思います。

で、実は、今度は僕が入院。
以前から肩が反復脱臼の障害を抱えていて、3月にボリビアを旅行の際にも
チチカカ湖で脱臼。あえなく、ボリビアの首都ラパスで入院生活を
体験する羽目になった。
過去の脱臼でも、ネパールで救助ヘリを呼んだり、洞窟でレスキュー隊に
救助されたり、××ホテルから救急隊に救急車で運び出されたりと
散々な目にあっているので、さすがに退職の休みを利用して手術をする気になった。

入院先の病院は、今日本で最も先進的な医療を受けられると評判の、亀田総合病院。
(亀田総合病院サイト)http://www.kameda.or.jp/jp/index.php

この病院は、アメリカの大統領が来日時に不慮の事故があった場合の
搬送先の病院に指定されている超一流の病院。

でも、本当にすばらしいのは、この病院では患者が自らのカルテを
Webで閲覧できると言うこと。閉鎖的という印象の強い日本の
医療システムの中で、そこまで患者に対して情報公開を
行おうとする姿勢なのである。

何故、脱臼ごときでそんな最先端の病院にいくことになったのかと言うと、
偶然にも先週末友人の誕生日会で、亀田の若手医師の皆様と知り合えたため。
祖母の相談にも親身に乗ってもらえたし、脱臼の治療として自分が何を基準に
手術を選択すべきかなど、患者が何の情報を必要としているかの視点に立った
アドバイスをもらえた。

祖母の入院の件で医者と患者との情報共有のあり方に
疑問を感じていた自分としては、こんなにすばらしいお医者様がいて、
日本で最高の医療サービスを行う病院というものを
一度体験してみたいと思った。
決して、飲み会で出合った女医の皆様がきれいだったから、
と言うだけの理由ではない。
(と、信じたい。)

あ、ちなみに、本日の肉じゃが作成は挫折。飲み会にかりだされてしまった。。。
ネアンデルタール人の壁は当分越えられそうにない。
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by yuheihosono | 2006-05-31 02:34 | 日常

ネアンデルタール人を超えて<初めてのお料理教室>

祖母の容態もやっとこさ安定してきました。(まだ人工呼吸器だけど、、、)
応援メールを下さった皆様、本当にありがとうございます。
緊急事態を気遣って僕に連絡を見送っていた皆様、もうお気遣いいただかなくて結構です。
というか、むしろ何でも誘ってください。本当は僕が脱臼の手術で
今入院している予定だったのがキャンセルとなってしまい、
今は本当に祖母のお見舞い以外は暇なニートなので。。。

祖母の件もちょっと落ち着きを見せ始めているので、久々に日常生活を充実する活動を開始。
先日、女性の友人達に、料理をしない男はもてない、といわれたので、
とうとう自分で料理をしてみることにした。
でも、よくよく考えると、僕は人生で本当に料理をしたことが無い。
お米を炊くのと、味噌汁を作るのがこれまでで最大の「料理」である。
残念ながら、火を使って動物の肉を調理をしていたといわれるネアンデルタール人
に、僕はまだ追いついていない。

何をつくればいいのか検討がつかないので、キーワードを「男」と「料理」で検索をかける。
すぐに見つかった。
その名も、「男が作れる超簡単料理」 http://otoko-cooking.com/
URLがいけてますね。OTOKO-COOKING...一歩間違えばゲイのサイトみたいだ。

せっかく料理を覚えるなら、世界中どこで旅をしていてもすぐに作れる料理を、と考え、
世界中どこでも食材が手に入りそうな、肉野菜炒めを作ることにした。

下北沢駅前のピーコックに買出しに行く。食材売り場は20代から50代の女性ばかり。
吉野家に一人で入ってしまった女性のように、ややうろたえながら食材を探す。
豚肉100グラムという指示があったので、豚肉コーナーに行くが、豚肉にも色々な
種類があり、一体全体どの豚肉を買えばいいのか分からない。
まさに、はじめてのお使い状態。
ということで、料理の達人の友人に電話して一体全体どれを買えばいいのかという相談をすると、爆笑しながら指示を与えてくれた。

自宅に食材を持ち帰り、Webサイトで調理法を確認し、ちゃんと野菜→肉の順番で調理した。
そして、実食。
う、、、、、、まずい、、、、。もやしが、異常にやわらかい。何故?中火で炒めますという指示通りに、徹底的に火を通したのに。。。
よくよく人に聞いてみると野菜は炒めすぎてはだめなのですね。。。うーーーん、料理は奥が深い。(俺が浅すぎるのか?)。まだまだネアンデルタール人にも及ばない。。。

でも、これに懲りず、明日は肉じゃが行ってみます。
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by yuheihosono | 2006-05-30 02:36 | 日常

後継者問題

祖母の病状は回復に向かっている。
酸素供給濃度も100%から90%に落とすことができ、、
酸素摂取量は95~96で安定している。肺のレントゲンも
右肺は昨日までと比べて明らかに晴れ上がってきている。
後は、心臓が負荷の限界に達しなければ、最後まで走り抜けられるかも。
お見舞いの人の雰囲気も大分明るくなってきた。

祖母の病状が改善するにつれ、緊急ではないけれど重要な問題が親族の話の端に挙がり
はじめてきた。それは、親族のそれぞれが持っているビジネスを誰が継続していくのかと言うこと。我が母は、この一年母親のアクセサリー屋を継げと会うたびに言っていたが、
今度は叔父さんが、自分の店で働かないかと声をかけてきた。
(いや、実際の言葉は、路頭に迷うぐらいならうちに働きにこい、だったけど(笑))
確かに私の親の世代は60歳前後で、引退を考える年であり、誰が継ぐのか廃業するのか、
ということを数年以内に決断しなければいけないタイミングになってきた。
そして、叔父も母親も海外とのビジネス展開を開始したところなので、
インテル・マイクロソフトと外資&ITがある程度分かる自分は、
中小企業にはいない人材と言うことで何かと使い勝手がよいということのよう。

でも、つくづく思うのは、仕事とは、自分が心から情熱を傾けられる目標に
密接にリンクしたものでなければだめだと言うこと。
つい先日まで、世界的に著名な会社の一つの、最もパワーのある部署に配属されていて、
これから一番花形になるという仕事を任された。それは、パソコンの販売が先進国で
停滞していく中で、いかにPCメーカーと提携して量販店店頭でのパソコン販売を
いかに加速させていくのかという仕事だった。
量販店マーケティングという新しい部門がアメリカ・ヨーロッパ・日本において
立ち上げられ、日本側の担当者に任命された。

本当に本当に忙しかった。毎日タクシーで帰ってたし、土日も働いた。
でも、猛烈な仕事の日々の中で、「パソコンの売り上げを加速させる」ということが
何故自分自身にとって、社会にとって大切な事なのか分からなくなってしまった。

企業とは社会のニーズを満たす時、その対価として利益を上げ
更なるビジネスの拡大を許されると自分は信じている。
そして、その目標に自分自身が強く同意して、仕事に対して情熱を持ちうる時に、
人はその会社で働くべきだと思う。
なぜなら、情熱を持つ時こそが、人間がそのポテンシャルを最大限に発揮する時であり、
その人自信が最も幸せになれる瞬間だから。才能の差なんて関係ない。
だって、分からなかったり、できないことがあったら、できる人に助けてもらえばいいから。
そして、人は情熱を持った人には力を分け与えたいと思うものだから。

「自分自身が納得していない仕事に就くことは、自分から進んで牢屋に入って懲役刑
に服しているようなものである」。悩める日々にこの文章に出合った。会社を辞める
決心がついた。

この5年間の会社人生は、仕事とは何か、社会の仕組みとは何かを学習する期間だった。
でも、次の10年は、本当に情熱を持って戦えるテーマに取り組み、自分にとっての
最善を尽くして、今までお世話になりっぱなしの社会にお返しする10年にしたい。
なので、簡単に会社を継ぎますとはいえないなぁ。。。ごめんね、親族の皆様。

PS:祖母の病気で応援のメッセージ頂いた皆さん、本当にありがとう!祖母はまだ意識が
はっきりしないのですが、みんなからの応援祖母にも伝えます!
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by yuheihosono | 2006-05-27 12:24 | 日常

逆転の兆し

祖母の看病6日目。
状況は悪くない。というか、大分希望を持てる結果である。
酸素供給は依然として100%であるが、酸素摂取量は97-98で安定している。
昨日までは、摂取量が90台前半と後半を上下していたのだが、
今日は見事なまでに安定して動かない。
レントゲン検査の結果も、劇的と言う程ではないが改善の方向に向かっている。
何より、説明する医者の顔が明るいのがよい。(笑)

もちろん、いつ心停止が起こるか予断を許さない状況ではあるものの、
多少は希望を持っていい内容に、看護側の息が吹き返してきた。

しかし、今回の祖母の入院の件から考えさせられたのは、
自分との大切な人との関係に優先的に時間を割り振っていくことの大切さである。
祖母と二人だけの時間を取ろうと言うことは以前から決意していたことだったのに、
時間の設定をずるずると先延ばしにしたために、危うくそれが永遠に実現できなく
なるところであった。

「経営にとって最も大切な事は、最も大切な事を、最も大切に扱うことである。」
経営の父と称されるピーター・ドラッカーの言葉である。
個人個人がそれぞれの人生の経営者だと考えれば、この考え方は
人生にも当てはまる。本当に大切な人との関係をどれだけ大切に扱ってきたか、
それはそのままその人の人生のクオリティに直結する問題ともいえる。
本件が落ち着いたら、父方の祖母と私の父母と一緒に過ごす時間をすぐにセットしようと思う。
もう、同じ間違いは繰り返したくない。
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by yuheihosono | 2006-05-26 02:37 | 日常

一筋の光明

病院に祖母の子供4人が全員集合。
昨日の容態悪化を受け、最後通牒の連絡を覚悟していたが、
レントゲンの結果、肺炎に若干ながら改善の兆しが見える。
正に一筋の光明である。
しかし、高濃度の酸素吸入による肺への負担が心臓に伝わり
心停止の危険は以前去っていない。肺が良くなるのが先か、
心臓が止まるのが先か時間との戦いである。

実際祖母の看病をしていても、酸素摂取の数値が前日に比べて
明らかに向上している。前日の酸素摂取率が酸素濃度100%で92ぐらい
だったのに比べ、96-98ぐらいまで改善が見られる。

希望が見えた、ということは、実は親族にとっては更なる葛藤の持続と言うつらい側面もある。あきらめる、のであれば気持ちも楽になるのだが、一度希望を持ってそこから
突き落とされるかもしれないという恐怖と戦うのは、中々に辛いものである。
今回のことで一番心を痛めている祖母の長男は、看病を僕に託して
万一に備え葬儀の道具の買出しに行く。心中、察するに余りある。

しかし、明日は、祖母の孫の一人がイギリスから緊急帰国する。
一族で一番の元気娘である。祖母にとって最大の応援であると共に、
自分にとっても本当に心強い味方の到着である。
ばあちゃん、まだ、試合は終わってないよ。一緒にがんばろう。
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by yuheihosono | 2006-05-25 02:24 | 日常

何を持って医療過誤とするのか?

土曜日以来4日間連続のお見舞い。
朝一番に酸素供給用の機器に目をやると、酸素濃度が昨日の90%から
100%に戻っているのを確認。この時点で、状況の悪化を悟る。
午後に医師からの説明があり、過去3日間のレントゲンを並べてみるが、肺の部分の曇りが
日曜日から火曜日にかけて明らかに進行しているのが一目瞭然で分かる。
肺の機能低下が心臓への負担増加につながり、心停止にいつでもなりうるとの事。

僕はすでに最終的な覚悟は出来ていたので比較的冷静に医師の説明を受け止めていたが、
比較的希望を持って事態を見守ってきた親族達は絶句していた。胆管結石で入院したのに肺炎で瀕死になっている現状に対して、母を含めた親族達は病院の管理体制の不備が原因であるとして不満が爆発寸前であった。
特に我が母は納得がいかないらしく、あからさまに医師に食って掛かってしまっている。

母の気持ちは分かるが、賢明ではない行為である。
仮に今回の過程で何らかの医療過誤があったとしても、祖母が現在の病院から動かせず、我々家族が出来ることがほぼ無い以上、我々家族が祖母のために出来るベストとは、医師と看護婦さんが祖母に対して最善の治療が行える環境を整えることである。
すなわち、僕らが医師と看護婦が彼らの最善を行っていると信じ、それを彼らに伝え、彼らがさながら私の祖母を自分の祖母と思って治療をおこなえる状況を作り出すことである。医師を非難したところで、せいぜい医療訴訟を起されないために、情報開示の制限やカルテの改竄が起きるのが関の山である。

医療が人によってなされる行為である以上、過誤の無い医療などありえない。刻一刻と悪化する病状の中で、医師も看護婦も彼らが信じるベストの判断を下していかねばならないのである。
家族ができるベストとは、入院前にベストの病院と医師を選別し、彼らに自分の愛する人を託すところまでである。そして、一度託したならば、彼らを精一杯信じ、彼らのベストを引き出すことである。明確な注意義務違反は別として、自分が委ねた医師たちがベストを尽くした上で、なおエラーが出たとするなら、それは天命として受け入れたい。所詮、人に出来るのは、人事を尽くす段階までなのである。

むしろ、無力な自分に代わり、今祖母の命を支えくれているのは彼ら医師と看護婦なのである。
その事実に心から感謝。どうか、私の大切な祖母を、最期までよろしくお願いします。
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by yuheihosono | 2006-05-24 00:10 | 日常

安西先生の教え

今日も再び祖母のお見舞い。
酸素供給濃度は昨日の100%から90%に減っていたが、血中酸素濃度は92ぐらいと昨日の94から落ちている。健常の人の場合、普通の空気(酸素濃度30%)で血中酸素濃度は98ということなので、依然酸素の取り込みに深刻な問題がある。この一連の原因をお医者様とお話したところ、入院の原因である胆石の除去の手術は成功したが、胆管にたまっていた胆汁を吐き出そうとした際に、誤って肺器官に誤飲され、肺の器官に深刻なダメージを与えてしまったとの事。この一週間の生存可能性は50%ぐらいと告げられる。普通の状態で聞いたらショッキングな数字だけれど、正直ほっとした。僕が思っていたよりずっと高い数字である。パンドラの箱の底に見出したかすかな希望だけれど。笛が鳴るまであきらめちゃいけない、と安西先生(湘北高校)にいわれたので、もうちょっと僕も希望を持ってがんばって応援することにする。

オシログラフの前に佇んでいると、その数字の変動に心が揺れ動く。心拍数・血圧と共に酸素血中濃度も数秒ごとに上下動するのだが、93から92、そして91へと下降を示したときは、こちらの血圧まで下がっていくのを感じる。目の前にいる祖母ではなく、機械の数値の上下動に心が奪われるのは本末転倒だけれど、全く動かない祖母の変化を知るてがかりは、その機械のデジタル化された数値なのである。。。

病室を一時退出して、外に出る。多摩の新緑が目にまぶしい。青々とした生命力溢れる新緑と祖母の病室の風景がとても同じ時間を共有しているとは思えず、不思議な感覚を覚える。

周囲に親戚がいなくなって、祖母と自分だけになった時、返事が無いのを承知で話しかけてみた。そうしたら、突然右手をばたばたと動かして反応を示した。昨日、看護婦さんが、こん睡状態の人でも声をかけると反応を示すことがあるから声をかけてあげてくださいねと言ってくれたが、本当に反応があって驚いた。全く力になれないと思われた自分にも、何かの役に立てるのかも知れない。そう思うと、心が震える。リカバリの可能性も、僕達家族ができることも、まだある。ホイッスルがなるまで、祖母も、家族も、僕もがんばる。
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by yuheihosono | 2006-05-23 01:14 | 日常

痛恨の一撃

土曜日、祖母が緊急入院。
徹夜明けで、昼過ぎに起床し、メールボックスを開けると父からメールが一行。
「イエ婆さんの容態深刻。至急連絡されたし」
元気が売りだったばあちゃんが、入院?容態深刻?
携帯を開いてみると、親からの着信が画面いっぱいに一列に並んでいる。
状況理解ができないまま、あせって親に携帯を連絡するもつながらず。
親族に電話して入院先を聞き出し、多摩の病院に急行。
死に目に会えなかったらどうしよう、と半ばパニック状態で病室に入ると、
めっちゃ元気そう。その祖母から発せられた第一声、「ゆうくん、結婚はいつするの?」
その後、機関銃のように一方的に話しまくる。とても死に掛けていた人とは思えない。
病室の他の5人の患者の皆さんは石造のように固まっているのとは対照的に、
僕を圧倒する勢いで元気に話しまくっている。
が、看護婦さんに話を聞くと、昨晩の容態は本当に深刻で、夜間に彼女の4人の子供は終結していて、病状を確認し、一応の安定を見たので早朝に解散したとの事。
本人は、自分の病状が深刻だという認識も全くしておらず、死ぬなんて微塵も考えていないようだった。

本当に元気そうなので安堵して、親族のみんなにばあちゃん元気の連絡を入れた。
でも、その話しぶりに不自然さがあった。何か、今話さなければ話す機会がもうない、というぐらいにとどまることなく話をし続けている。彼女の顔には死の影など微塵も感じられない。でも、何か心の片隅にやな予感がしたので、彼女との29年の付き合いで、一番真剣に話を聞き続けた。3時間ほど病室に滞在して、まず今日は大丈夫ということで、安心して帰宅した。

日曜日の朝、つまり今朝、パソコンのメールを開けると父から一行。「祖母容態急変。人工呼吸器装着。至急連絡されたし。」。携帯を見ると、また画面いっぱいの着信履歴。
家から飛び出し、そのまま多摩の病院に直行。途中の電車で祖母との思い出がよみがえってきて、ちょっと涙がほろりと来た。

昨日とは状況が一変していた。病室も集団部屋から、緊急処置室に移され、人工呼吸器の下で昏睡状態に。あれほど元気だったのに、今や機械によってかろうじて命をつないでいるのを見るのはショックであった。お医者さんと話したところ、肺炎を起しているらしく、血中酸素濃度が低下しており、人工呼吸器で100%の酸素を送り込むことでなんとか生命の維持をしているとの事。ただ、100%の酸素を送ることは体にとって相当に有害なことであるので、このレベルの酸素補給は最大2日ぐらいが限度だろうとの事だった。彼女の89年の人生に、初めて本格的なカウントダウンが告げられていた。

僕の両親は共働きのため、保育園・小学校時代を通して学校の後は毎日このおばあちゃんの家に預けられていた。親とおなじかそれ以上の時間を幼少期には過ごしたため、僕の人格形成に多大な影響を与えてくれた人である。祖父が仕事をしない人だったため(でも僕をとってもかわいがってくれたのですが)、戦後女手一つで洋服屋を切り盛りし、四人の子供を学校に生かせるという苦労人な半生をおくっている。でもそんな苦労など微塵も感じさせない快活極まりない性格であり、また非常に好奇心あふれる人でもあった。85歳になってから英会話と水泳を始めるなど、自分に限界を設けるという思考が完全に欠如していて、いつも彼女の近況を聞くたびに自分の発想の貧困さを思い知らされた。

2月に会社を退職した際に、どうしてもかなえたい夢が3つあった。一つ目は、南極と南米を旅して世界7大陸周遊を完成させること。2つ目は、次の10年自分が全力で打ち込める題材を探すこと。3つ目は、これまで時間を共有することがなかったおばあちゃん&両親と旅行をすること。
来月には祖母ちゃんとどこか行こうと自分の中で計画を立てていた。そんな矢先の今回の容態急変だった。

彼女の容態はここ2-3日がヤマ。そして、この2日間明け方に悪化する傾向にあるので、あと数時間が本当の勝負。神様、あと一年、彼女に寿命を与えてください。まだ、いっぱい話したいことがあるんです。僕の結婚式も見せてあげたいのです。普段信じてないのに都合がいいとは思いますが、どうか、どうかお願いします。
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by yuheihosono | 2006-05-22 00:35 | 日常