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2006年2月から4月で南極・南米を周りました。7大陸訪問達成!連絡先は以下でお願いします yuheihosono@hotmail.com
by yuheihosono
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カテゴリ:南極・南米旅行記( 42 )

南極・南米旅行記 第41日目 最終日・イグアス上空フライト

4月6日 アルゼンチン・イグアス→ブエノスアイレス→アメリカ・ニューヨーク

2月末から続いてきた旅もとうとう最終日を迎えることになった。
昼過ぎのフライトに乗るため、
余裕の3時間前に空港に到着。飛行場でネットをする。

が、イグアスを去る前にどうしても心残りとなっていることがあった。
昨日イグアスの滝が一日中曇っていたので、
晴天の下でのイグアスの滝の撮影が出来ていないのである。

旅の最後の思い出にイグアスの滝を空中から撮影して見たい、
と思ってしまった。

チェックインしているにも関わらず、空港にいる観光業者を捕まえ、
ヘリの飛行場までタクシーの手配をしてもらう。
フライトまでの時間は、後2時間。ヘリポートまでは片道30分。
フライトは15分。
全てが順調に行って戻ってきても、フライト45分前。
ぎりぎりである。
しかも、フライトは他に2人飛ぶ人間がこないと
余剰金を払わなければ飛ばない。

他にのりたいという乗客がヘリポートに待機していない限り、フライトが
成り立たない。

どう考えても無謀だった。

でも、何とかなるという理由のつかない確信があった。
人生、強く望めば何でもかなう、という旅を通して体験してきた不思議な直感。
タクシーの運転手に車を飛ばさせた。

飛行場につくと、やはりそんな都合よくフライト待ちしている人間はいない。
刻々と迫る時間。
もうタイムアップだと思った瞬間にヘリポートに2人組の中年カップルが来た。

天はまだ私を見放していなかった。

ヘリコプターに飛び乗った。
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イグアスの上空までわずか5-6分。
地平線まで続く緑の大地を一直線に河が切り裂き、
突然大地の裂け目が現れた。

すばらしい光景だった。

下から間近に見る滝もすばらしいが、
イグアスの本当の全景を捕らえるには、ヘリに乗る以外には無い。

ヘリの中からの撮影は体が自由に動かせるわけではないので、非常に難しい。
が、一瞬のチャンスを捉え、壮大なイグアスの滝を撮影。
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滝の上空に虹がかかった。
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旅の最後の思い出をイグアスが与えてくれた気がした。

フライト後、タクシーの運転手はエンジンを入れて待ち構えていた。
ダッシュで飛び乗り、空港に向かった。
絶対間に合うと信じていた。

なぜなら僕のチェックインは一番初めだったから
荷物は飛行機の中央部につまれてしまっている。

僕をキャンセルさせるには荷物を一番奥から
詰め替えなければならないのである。。

到着はフライト2分前。
タクシーの運転手は胸のところでクロスを切って僕を送り出してくれた。

カウンターでは全員俺のことを待ち構えていた。
やっぱり、みんな怒ってる。
いいじゃん、いつも遅れてばっかりなんだから、と内心思いつつ、
ごめんなさーい!
と明るく謝って飛行機に飛び乗った。

目指すは、ブエノスアイレス経由、アメリカ大陸。
かつて1年を過ごした、世界で一番美しい秋がある土地、
アメリカ合衆国・バーモント州。

そこで、ある世界的な企業の副社長のお宅にホームステイ予定。
我が師匠となる方と、人生について語り、次の道を考えてみます。

ここで、世界の辺境の旅は一旦お終い。
この後のバーモントの旅も、どきどきだったのだけれど、
それはまた次の機会に。

-----------------------------------------------------------------------

世界は、やはりどこまでも広く・多様で・美しい。
40日間の膨大な体験を要約するとただそれだけなのだけれど、
世界7大陸を旅して、改めてその思いを強くしました。

そして、この体験は自分の中だけで留めたくなかったので、
この世界の美しさ・厳しさ・多様さから受けた感動を、
文章と写真で一生懸命、記録として残してみました。

でも、伝えようとしといて言うのもなんですが、
絶対に伝わりきれてません。

世界が時折見せてくれる、美しさ・荘厳さにたいする深い感動は、
人間の五感のみならず、その場所にたどり着くまでの無数の苦労や喜び、
出会いの物語と共につむぎだされるものだからです。

この数年でインターネット上で手に入る世界の辺境の情報は劇的に
増えました。
2002年に南部アフリカを旅行した際には全く情報が手に入らず、
海外のサイトを総動員して、かろうじて旅行に必要な情報をそろえて
いました。

それが今や、どんな世界の僻地でも、ネットで手に入らない
情報や写真はなくなってしまったといっても言いぐらいです。

まして、ラブワゴンの登場が登場したことにより、
世界の辺境は、ものすごく身近に感じられるようになりました(笑)

でも、どんなにバーチャルな情報が増えて世界を知ることが
できるように思えても、やはりそれは他人のフィルタリングが
入った情報でしかなく、自らの五感すべてを動員して感じる
感動の深みとは、全く異なるものなのだと思います。

だから、この旅の記録は、誰かが自ら南米・南極の辺境へと
足を運ぶための、きっかけであってくれればいいなと思います。

将来のこの大地への旅がどんなものになるかは分かりませんが、
私の文章と写真とは比較にならない美しさ・荘厳さ、そして感動が
待っている事だけは保証できます。

それでは、皆さんの旅が素敵なものになりますように。

ご愛読ありがとうございました。
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by yuheihosono | 2006-07-22 18:51 | 南極・南米旅行記

南極・南米旅行記 第40日目 イグアスの滝に打たれる

4月5日 アルゼンチン・イグアスの滝

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とうとう、イグアスの滝に打たれる日が来た。
ジャングルツアーを見た後、
ボートに乗って滝に打たれるというセットツアーに申し込む。

このジャングルツアーは特筆するべきものも無く面白くないのだが、
滝に打たれるボートツアーはやはり、まじで面白かった。

この滝行ツアーは小型の滝と大型の滝二つに接近する。
第一番目の小型の滝では、文字通り滝の中に突っ込むのである。
乗客は全員水着に着替えていて、滝に当たる準備万端。

モーターボートで滝に近づく。
乗組員たちは、全員完全防水の合羽を着て、
首元までびっちりとファースナーで締め上げている。

そして、突入。

小型の滝といっても、滝は滝なので水の壁が目の前に迫ってくる。
しかも、よりによって俺の乗っている側から突っ込んでいった。

直撃第一号である。
当然だが全身ずぶぬれ。
でも、乗客みんな大はしゃぎ。

乗員も調子に乗り2度3度と突っ込む。
アドレナリン全開。最高!

そして、続いて、大型の滝に近づいていく。
これは、先ほどの滝と比べて規模が数倍違う。

さすがにこちらに直接突っ込んだら、無事ではいられない。
ので、あくまで滝つぼのぎりぎり限界まで突っ込む。
でも、先ほどの滝直撃を上回るインパクトがある。
なんたって、間違えて近づきすぎたら死ぬという、リアリティがある。

膨大な水の塊が落ちたことによって
湧き上がる水煙の中まで入っていくのだが、
正面から水の散弾銃を浴びせられているようである。
滝つぼ方向の視界0。

持ってきた写るんですの水中カメラの撮影を断念。
これじゃ何もうつらんよ。
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3回ほどボートで突入して、このボートトリップも終了。

ザンベジ川で体験した世界で一番激しいラフティングには
及ばないけれど、期待以上に面白かった。

そして、ボートツアーの後に、イグアスの滝の名物である、
悪魔ののど笛の鑑賞に行く。

悪魔ののど笛は、数百あるといわれるイグアスの滝の本流部分で、
僕がボートで突入した部分とは水量の桁が二桁ぐらい違う。
100メートルぐらい上の展望台にいるのに、
水飛沫で展望台上が豪雨になっているのである。

これぞ、世界最大の滝というインパクトがある。
惜しいかな、あまりに展望台が滝に近すぎるのと、
飛沫のすごさで写真に残せません。。。
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でも、世界三大滝の名に恥じないすばらしい迫力でした。

夜は、イグアスの街で出会った日本人の旅行者の方と食事。
この長い旅の最後のディナーを楽しんだ。
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by yuheihosono | 2006-07-22 18:40 | 南極・南米旅行記

南極・南米旅行記 第39日目 イグアスの滝到着

4月4日 アルゼンチン・ブエノスアイレス→ブラジル・イグアスの滝

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ブエノスアイレスからフライトで
旅の最終目的地であるイグアスまで移動。

このイグアスの滝は、ジンバブエにあるビクトリアの滝・
アメリカのナイアガラの滝と並び世界三大滝の一つと呼ばれる。
三大滝の中でも、滝の横幅(と多分水量)という意味では世界最大である。

イグアスの滝の観光は、ブラジル側とアルゼンチン側に別れる。
ブラジル側は全体を見るのに最適で、アルゼンチン側は
滝により接近して見ることが出来ると書いてある。

が、これは婉曲的な表現で、要するにアルゼンチン側の方が圧倒的
迫力があるということであり、ブラジル側は遠くからしか見えませんよ
ということである。
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ただ、アルゼンチン側にも利点はあって、観光用ボートが比較的小型の滝に
突っ込んでいく様子を見ることができる。
滝の近くまで行くというのなら今まで世界中色々見てきたが、
ボートごと観光客が滝に打たれているのははじめて見た。
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いくら小型の滝でも、そこまでやるか?

明日は、自分の番である。燃えてきたぞ!
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by yuheihosono | 2006-07-22 18:34 | 南極・南米旅行記

南極・南米旅行記 第38日目 ボリビア国境突破

4月3日 ボリビア・ビラゾン→アルゼンチン・フフイ→ブエノスアイレス

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朝一番で国境を突破。
アルゼンチン川の国境の町LaQuiakaでJujuy行きのバスに飛び乗る。
飛行機の離陸時間は14:00.
バスの予定到着時間は13:00で、Jujuyの町から飛行場までタクシーで
30分ということを考えると、ぎりぎりもぎりぎりだった。

が、最後の最後で予想外の妨害が入った。
Jujuyへ向かう途中の道で、
アルゼンチン軍による抜き打ち手荷物検査である。
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<↑当然、盗撮です>

アルゼンチンの乗客が、検閲とかあってごめんなと声を掛けてきた。
ボリビアはペルーと並ぶ悪名高いコカインの産地であるため、
国境からのバスには抜き打ち検査を掛けているのである。
全員バスから降ろされ、一人ひとりの手荷物検査である。
30分遅れ。
到着したとしても、飛行機の離陸時間である。
飛行場に行くのをやめようかとも思ったが、
アルゼンチン航空名物のスケジュール遅れを信じて空港に向かった。

信じるものは、救われる。

到着は、飛行機の離陸時間ぴったりだったが、
空港に入るや否や空港職員が、Hosono!といって声を掛けてきた。
カウンターの男性職員は職員、
こんな珍しい名前はお前しないないと思ったといって、
見事僕の名前を当てたことを他の職員に自慢している。
願いは天に届いたらしく、見事飛行機は一時間のスケジュール遅れ。
間に合った!

飛行機のゲートに並ぶと、麻薬犬をつれた職員が
乗客から麻薬の匂いがしないか犬に嗅がせている。
俺はよっぽど汚い格好だったらしく、犬が興味を示していないにもかかわらず、
わざわざ再度犬をけしかけて俺の荷物の匂いをかげとやっている。
ちょっと、むかついた。

でも、何とかアルゼンチンの首都ブエノスアイレスまで戻ってこれた。
宿を探すのに一苦労。
アルゼンチンのホテルは平日でも意味不明なほど
フルブッキングなことがおおい。

ただでさえ、英語で電話かけただけで電話を切られてしまうのに、
本当にホテルを押さえるのに苦労する。
でも、何とか、バックパッカーの宿を確保し宿泊できた。

明日は、この旅最後の目的地、イグアスの滝である。
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by yuheihosono | 2006-07-22 16:55 | 南極・南米旅行記

南極・南米旅行記 第37日目 ウユニ湖の朝焼け

4月2日 ボリビア・ウユニ湖→アルゼンチンとの国境
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朝5:30起床。昨晩の豪雨はやんでいた。
外はまだ暗闇に包まれているが、
地平線がかすかに白み始めている。

そして、宿の周囲は見渡す限り水で覆われている。
ほんのわずかだけこの宿だけ土台を高くしてあるので水没を免れているが、
宿の周囲はすっかり湖と化している。

幸運なことに、朝日のあがる一角だけが雲が切れている。
このまま行けば朝日が拝めるかもしれないということで、しばらく待機する。

6:00、東の空に赤みが差してきた。
友人のベニーをたたき起こす。
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昨日は純白の大地だったが、今日は湖を覆う水に十分な深さがあり、
朝焼けが始まった空と雲を鏡のように映し出している。

暗闇の中、塩のホテルから外に出る。

本当に地平線まで見渡す限り水没してしまっている。
でも、水深は浅いところならせいぜい10センチ程度。
ぎりぎり靴のソールと同じぐらいの厚さなので、
水溜りに入っても浸水してこない。

他の宿泊客達も、朝日を見ようとわらわらと宿から出てきた。
このすばらしい朝日と静寂を楽しむために、ホテルから大分離れた
ところまで水溜りを分け入って移動した。

鏡のような静かな水面に立ち、
刻一刻と赤く色づいていく美しい朝焼けを見つめた。
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突然、自分の後方から動物の鳴き声がした。
ふと振り向くと、後方から一羽の鳥が旋回して自分の前に
降り立ってきた。

フラミンゴである。

動物どころか植物さえ全く見当たらないところに、
一羽のフラミンゴが突如として自分の前に舞い降りてきた
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その時、一枚の写真を思い出した。
モーリシャスのビーチで、朝焼けの中にたたずむ一羽の鳥。
尊敬するカメラマンの三好和義さんの写真集「楽園」の表紙を飾った写真。

あの風景そのものだった。

カメラを持つ手が震える。あまりの美しさに、涙が滲んできて
ファインダーが良く見えない。

これまで見た中でも最良の朝焼けだった。

遥か遠くボリビアの大地まで、困難を乗り越えてきた祝福として
フラミンゴが撮らせてくれたのだ、そう感じた。
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朝日を見終わると、ウユニの町から迎えが来ていた。
明日の昼までにアルゼンチンの北辺の町Jojoy(フフイ)
まで移動して、ブエノスアイレスに行く飛行機に乗る予定になっていた。

アルゼンチン国境まで300KM、そこからさらに400KM。

日本なら今日中に余裕で到達だが、
南米最貧国の一つのボリビアの山道と国境越えの
2つの難関が待ち受けている。

明日の昼一番のフライトということを考えると、
今日中にJujuyに到達しなければならなかった。
発展途上国でタイムスケジュールぎりぎりの行動という
無謀極まりない挑戦である。

ウユニの町でボリビア国境近くの町まで行くバスに飛び乗る。
出発は朝の九時だった。
昼過ぎぐらいには次の目的地である国境から200KM
離れた町に着くかと思いきや、到着時間夕方の5時ぐらいとのこと。
国境は夜の8時に閉じてしまう。
最低限のノルマである今日中の国境越えすら暗雲が漂ってきた。

このウユニからの移動は、文字通り命がけのバス移動である。
昼寝から目を覚ますと、
最前列に座ってた僕の目の前に道が無い。
いきなり、高さ数百メートルの崖である。
初め目の錯覚かと思ったが、現実だった。
道がバスの車幅ぎりぎりぐらいしかないため、
カーブの際は目の前から道が消えて、
バスの巨大ウインドウいっぱいに切り立った崖が映し出される。
ちょっとでもハンドルワークを間違えるとみんなバスと共に崖下である。

バス代金は8時間で数百円にしかならないが、代償は命がけのバス旅行。
さすが、ボリビア。毎日楽しませてくれる。

途中の休憩所で、イスラエル人のカップルと話をした。
彼女たちは、自分の車も家もうっぱらってこの旅行に飛び出てきたとのこと。
親戚・友人から強烈な引止めを食らったが、
反対を押し切って二人で飛び出して南米一週旅行中とのことである。

南米の僻地で会う若手旅行者は、彼女たちのようにそれまでの社会的
バックグラウンドを投げ打って、長期旅行をする人が本当に多い。
投げ打ってきたものの分だけ、旅に掛ける真剣さがすごい。
同じ海外に飛び出すにしても、MBA取得などと違い、
旅に出るということは、どの国でも多かれ少なかれ道楽としてしか見られない。
でも、自分はやりたいのだといって、外に飛び出てくる。
確かに道楽かもしれないけれど、こういう自分に正直に生きている
人間たちのパワーというのは尋常でない。

一度旅が終わってこのパワーが他に転化されれば、
どんなことやっても成功できると思う。

他人に理解されなくても、やはり自分の情熱のありかには正直に耳を
傾けたほうがいいのだ、と思う。

国境近くの町に予定通り17:00に到着。
しかし、ここで衝撃の事実。何と国境の町Villazonへ行くバスが
16:00に出てしまっており、次のバスは朝の3時との事。

おいおい、どんなスケジュールなんだよ。

なんとしても国境を今日越えておかないとリスクが大きすぎる。
ということで、国境までの200キロをタクシーを雇うことにした。
タクシードライバー達に交渉したところ、60ドル出さなければ行かないという。
日収がせいぜい20ドルぐらいのところなのに、なかなかみんな強欲である。
で、俺が粘って40ドルまでしか出さんと渋っていたら、
一人の僕と同年代ぐらいの若者?が40ドルで行ってやると
いって名乗りを上げてきた。

国境まで一緒に過ごさなければならず、
肩が使えない以上もし強盗に早代わりして、
身包みはがされたら終わりである。

信用できる奴で無ければ断ろうと思った。

でも、何としてもビジネスを手に入れたいという必死さの中にも、
人間として必要な誠実さがあふれた、いい目をした男だった。
この男に国境までの同行をお願いすることにした。

発展途上国のドライバーの大多数と同じく、
この男もかなりの飛ばし屋だった。
せまい山の砂利道を猛烈に飛ばす。
この分なら20時のゲート封鎖前に到着できそうだ、、、、
と思ったところ、男が急にスピードを落とし始め、車を止めてしまった。

車の前に行ってボンネットを開けた。
ものすごい上記が噴出してきた。
オーバーヒートである。
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これ以上走らせたら本当にボリビアの山道で立ち往生である。
夕暮れが迫り頭上には雨具も垂れ込め雷が鳴る。
なかなか凄惨な状況の中、エンジンに水を掛け続け、再スタート。
男は申し分けなさそうな顔をして謝ってくる。

でも、僕は緊急事態大好き人間なので、
人生のねたが出来たといって喜んでいた。

国境に到着したのは9時だった。
案の定、国境のゲートは封鎖。
国境係員を泣き落としにかかったが、
スタンプを押す係りの人間がもう帰ってしまったとのこと。
仕方なく、近くのホテルに宿泊。
タクシーの兄ちゃんとはここで別れた。

明日のフライトは14:00である。フフイに到着予定は13:00過ぎ。
明日は、すべてが正しく進まなければならない。
厳しい戦いになりそうである。
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by yuheihosono | 2006-07-22 09:12 | 南極・南米旅行記

南極・南米旅行記 第36日目 空と大地の交わる所

4月1日 ボリビア・ウユニ湖


ウユニ湖は、世界で最大の塩の湖である。
横の広さは100KM以上で、四国の半分が入ってしまうほどの広大な土地。
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晴れた日は360度、地平線まで純白の世界。
そして、雨季になるとその塩の上にうっすらと水が張る。
しかし、非常に水深が浅いた鏡のような湖面が出来上がる。
雨季の晴れ間には、地平線まで空と雲を反射し、
地平線の境目が空に消えていく。

この湖面を4WDでドライブすると、まるで空を飛んでいるかのような
錯覚を起すのである。

世界中を旅してきたツワモノトラベラー達をうならせるて来た、
別格の風景である。


ウユニ湖を訪問の定番であるサボテン島を訪問。
この島は、まっ平らなウユニ湖上に突如として屹立する
小高い丘のようなところである。

全く植物の生えていない塩湖にあって例外的に、
丘の上はびっしりとサボテンに覆われている。

標高は100メートル程度しかないはずだが、
視界をさえぎるもののないこの塩湖を見通すには絶好の
ビューポイントである。

塩湖の乾燥した部分はどこまでも白く輝き、水に覆われた部分は鏡のように
空を大地に映し出していた。
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やがて、地平線の彼方から前粒のようなジープが、
湖の湖面上に映し出された雲の中を疾走してくるのが見えた。
大型のジープのはずなのに、本当にゴマ粒のよう。
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サボテン山から、宿泊地である塩のホテルへの帰り道、
広大な水溜りをドライブした。
車の下に雲の映像が移り、まるで運転席が飛行機の
コクピットになったかのような不思議な感覚に陥った。
あんまりにもすばらしい風景なので車を止めてもらって、風景の撮影。
湖に車が反射して、テレビコマーシャル顔負けの風景が撮れた。

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やがて、空が黒雲に囲まれ、豪雨が降ってきた。
この何の目印もない塩の湖では、ドライバーは周囲の
山々の風景で方角を見分けてドライブする。
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が、霧に囲まれてしまい、方角が分からなくなってしまった。
仕方が無いので、前に通った車によって作られたわだちを追って走って見る。
わだちは幾方向にも通っているので、どれが正しいかはドライバーの勘である。。

といえばかっこいいが、ドライバーもしばらく右往左往した後だったので、
もはやヤケクソのあてずっぽうといったほうが正しい。

適当に走ること10分、幸運にも塩のホテルが見えてきた。

ここに来る前は自分でレンタカーして塩の湖をドライブすることも考えたけれど、
よほど慎重にやらないと本当に路頭に迷う可能性がある。

でも、この広大な湖を自転車で横断するバイカーたちに出会う。
地平線にゴマ粒のように見えたのが、だんだんと大きくなってきて、
バイカーだと分かる。彼らは一日中同じ真っ白な風景の中を走り続ける。
まじで、すごい。


ようやく、本日の宿泊地である塩のホテルに到着。
このホテル名前どおり、建物全体が塩で出来ている。
骨組みは当然なのだが、机・テーブル・ベットにいたるまで
全てMade of salt.

出てきた食事が何故か薄味だったので、
テーブルをなめて味を足したというのは本当の話。
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このホテル、当たり前といえば当たり前なのだが、
塩の湖のど真ん中に立っているので電気が通っていない。
ので、夜中はろうそくで過ごすのである。

外は相変わらずの豪雨で、暗闇の中ちょっと心細いけれど、
ここは晴れの日にきたら本当にロマンチックかもしれない。
外には、これ以上ないぐらいの星空が祝福してくれるはずだしね。

降り続く豪雨に、塩のホテル、溶けちゃわないの?
とちょっと心配になりながら、ウユニの朝焼けに希望を託し就寝。
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by yuheihosono | 2006-07-22 01:30 | 南極・南米旅行記

南極・南米旅行記 第35日目 光の海

3月31日 ボリビア・ラパス→ウユニ

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昨晩は、日本人の方が経営している「一番ホテル」に宿泊したのだが、
翌朝朝食に日本食が出た。

ご飯、味噌汁、お漬物、卵焼き、、、、

やばい、涙が出そうなほどおいしい。

南米の飯は、いつもどたばたでサンドイッチしか食べられない日が
何日も続いた上に、チチカカ湖で脱臼した夜は空腹に苦しみながら
分けてもらったチョコレートで空腹をしのいでいた。

そんなきっつい食生活の中で何度日本食を食べることを夢見たことか、、、
いや、もうどんなうまい洋食よりも、まじでうまかった。。。

そして、テーブルの席上では、ボリビア生まれの日本人の青年と話をした。
今年日本に留学するために、ラパスの日本領事館までビザの申請をしに
来ているということだった。

純系の日本人3世ということで、ボリビアの日本人社会の事を
色々聞けて面白かった。何より受けたのが、
彼の日本の文化への造詣の深さである。

日本の同世代がカバーするような話題はほとんどカバーしている。
ゲーム・漫画の知識の深さはオタクレベルとも言える。
漫画喫茶に12時間連続滞在記録のある僕が、
互角だと感じるぐらいなのである。

信じられないことに、今のボリビアの子供たちの間ではやっているのは、
PCのネットゲームだという。
ボリビアでは固定のPCを買うお金は持っていないため、
みんなネットカフェで一時間100円ぐらいの金を支払ってゲームに
没頭しているとの事。でも、あまりに没頭しすぎているため、
結局年末ぐらいにはPCが変えてしまうぐらいの金を
支払っているというのである。

その没頭の具合は恐ろしく、日本と同じく、
他のゲームプレーヤーのパスワードをハッキングして、
装備品などを盗んだりするのが横行しているという。

道路や建物などのインフラだけを見ていると発展途上国と日本との差は
50年以上の開きがあるように見えるが、こと子供のITリタラシーや携帯の
所有率など、初期投資がかからない分野においては、日本と発展途上国の
子供たちとの間に差は無い。

ただ旅をしているだけでは見えない、素敵な出会いだった。

昼、入院以来分かれていたベニーに連絡をとり、再集合。
今夜にもウユニ湖に向けて出発するという話をし、
夜行バスで一緒にウユニ湖に向かうことになった。

肩の脱臼のため、片腕しか使えなかったので、
勝手知ったベニーが同行してくれることは本当に心強かった。

彼は前日に世界で最も年間の交通事故死亡者が多い
「Death Road」といわれる道路をマウンテンバイクで爆走してきたとのこと。 
そんな不名誉な道路までも商売のねたにしてしまうボリビア人、恐るべし。

合流したベーニーと日系人3世の子と共に3人でラパスでも
一番おいしいという和食屋に行く。

う、うまい。日本よりうまいとまではいえないが、
下北沢ぐらいなら店をオープンしてもやっていけそうである。
(注:私、下北住人なので、下北の食堂の質の高さは知っております)

日系移民のいる町の飯の水準は実は結構高い。

夜、ウユニ行きのバスに乗り込む前に、ボリビアの夜景を堪能した。
ボリビアの夜景はすばらしいと聞いていたが、これまで見た夜景の中でも
最もすばらしい夜景の一つだった。

一般的に都市と言うのは平地に作られるため、明かりは手前から奥のほうに
展開していくのだが、ラパスは山の傾斜面にそって家が建てられて
いるため、数百万世帯家の明かりが、立体的かつ高密度に
展開されていくのである。

そう、光の海、と言うぐらいすばらしい夜景が
自分の周囲に展開される、ラパスの夜だった。
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ウユニ行きのバスは、外国人用のバスということもあって、
十分に先進国でも使えるようなバスの質である。

品のいいボリビア人の男性バスガイドが、
ウユニまでの道のりは、9時間ほどで前半は舗装路が続くが、
後半は半端ない未舗装路でものすごくゆれるということを
口をすっぱくして説明する。

正直、パタゴニアで未舗装道路をドライブしてきたばかりの自分だから、
そんな未舗装道路なんてたいしたことはないとタカをくくっていた。

でも、この未舗装道路の荒れ方は半端なかった。
自家用車と違ってバスは車高が高いのも災いしているのだろうが、
震度5ぐらいの揺れが常時続き、数分に一回震度7クラスの爆発的な揺れ
(というかジャンプ)が来る。

リクライニングシートで体を寝かしつけていても、
両足で椅子を押さえつけていないと体が固定できないのである。

南極行きの船も揺れたが、揺れの質が全く違う。
船の揺れは、方向が決まっていて、非常に振幅が大きいので、
揺れに対しての準備が出来るが、
この未舗装路の揺れは全く予想が出来ないのである。

唯一の幸運は、同乗していた各国のバックパッカーたちに
酔いに弱い人間がいなかったこと。

誰か一人でもリバースしたら、このバスはもらいリバースの
オンパレードになっただろう。

発展途上国の僻地に片道バスで行くだけ会って、
みんなツワモノだったのだろう。ラッキーだった。

ボリビアの荒涼とした大地を朝焼けが真っ赤に染めると共に、
バスは目的地のウユニに到着した。
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by yuheihosono | 2006-07-21 11:37 | 南極・南米旅行記

南極・南米旅行記 第34日目 退院

3月30日 ボリビア・ラパス

一晩ぐっすり寝たら、左手は全く動かせないが、
長旅の疲れはすっかり取れて元気が出てきた。

が、退院のところでお支払いトラブルが発生した。
クレジットカードが使えないのである。
何度通しても、VISAもMASTERも認証されない。
確かに南極旅行で50万円ぐらい使った上で、
上限金額が80万円の設定だったから、
すでに上限枠を使い切ってしまった可能性がある。

そして、入院費用は手持ちの金額ではお支払いできないような金額である。
カード使用不能、現金無しということを伝えたら、
会計係の俺を見る目は半ば犯罪者扱いになり、
病院直属のガードマンと一緒に近くの銀行まで両替に行くように命じられた。

よもや南米で最貧国の一つのボリビアで
貧乏人扱いされるとは思わなかった。

そして、両替が恐ろしく大変だった。
日本を出発するときに空港で日本円を米ドルに交換するのを
忘れるという大失態を犯していたため、日本円からボリビア紙幣への
両替を余儀なくされてしまった。

が、日本円の南米での両替というのが恐ろしく難しい。
空港ならかろうじて出来るところは多いのであるが、
街中に出てしまうと、首都のラパスでさえも交換できるところが
限られているのである。

めちゃめちゃごついボディーガードの兄ちゃんを従えて、
銀行から銀行をたらいまわし、、、5件回ってやっとたどり着けた。

しかし、案の定、レートが終わっている。
日本で日本円→USドルに変えてから、こちらでボリビア通貨にして
得られる金額と比較すると、直接日本円からのボリビア通貨へ変更するのは
2割ぐらいレートが悪いのである。

ペルーのルピーはかえられてもこの地球の裏側では国際通貨としての
存在感はほとんど無し。世界第二位の経済大国の面影はない。

お金を払い終わり、とうとう退院となった。
しかし、左手は肩を安静にするために三角巾で固定され、
少なくとも3週間は安静とのことである。

僕の荷物は40リットルの大型バックパックと通常の
バックパックの二つがあり、足すと30キロぐらいの重さになっている。

こんな巨大な荷物を右肩一つで持って、
片手を三角巾でつって街中であるいたら、格好の標的である。

安宿探しはギブアップし、地球の歩き方を開いて日本人
が経営している中級の宿を探し、今日はそこに宿泊して明日以降の
旅の戦略を練ることにした。

片腕負傷というハンディキャップつきで、この旅で最も過酷な
ボリビア最深部ウユニ湖への旅の計画を立てることになろうとは
夢にも思わなかった。。。
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by yuheihosono | 2006-07-21 10:26 | 南極・南米旅行記

チチカカ湖からの脱出

3月29日 ペルー・プーノ→ボリビア・コパカバーナ&太陽の島

翌朝日の出と共に、ベニーが浜辺のボートを一台チャーターしてくれて、
その船でコパカバーナまで脱出することになった。

ベニーは一緒にボリビアまで着いてきてくれることになったが、
看護婦二人はこの太陽の島に残って観光を続けることになった。
激痛の中、挨拶もままならない中お別れとなったが,
ヨーロッパでの再会を誓い、別れを告げた。


ボートでの移動は、ちょっとした揺れでも激痛が襲うので、
内心どきどきだったが、幸い湖面は平穏そのものだった。
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1時間半ほどで湖岸のコパカバーナの町に着き、
町で一番高いホテルまで助けを求めた。

色々な情報を総合した結果、この町の病院は、
地元の人でも行かないぐらい医療レベルが低いことが判明。
車で2時間の距離にある、ボリビアの首都ラパスに向かうことになった。

移動中、突き抜けるような青空と太陽に照らされたチチカカ湖が
青く光り輝いているのを見た。
いつかまた、帰ってくるぞ、心に誓った。
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保険会社からの勧めで、ラパスで最高の水準を誇る病院に搬送された。
でも、確かに格式は高そうだが、設備的には、日本のレベルから
遅れること30年というところだった。

体重計は懐かしの天稟棒、椅子と机は木製などで、
エレベータも歴史を感じさせるものである。

医者が全てボリビア人で構成されているところもどきどきだった。

でも、結論から言うと、ボリビアのこの医院のレベルは、多分悪くなかった。
少なくとも、出合った医師の半分ぐらいは海外での勉強経験があるようだし、
非常に知性を感じさせるような医者が多い。

しかし、事前に患者に状況をよくおこなって、
患者の同意を得た上で治療を行うというInformed Consentの
概念はまったく欠落していた。

僕の方のレントゲンを撮影したあと、僕が肩の状況を聞いているのに、
No Problem・OKOK、といいながら、
いきなり5人ぐらいでベットに押し倒し腕を引っ張って、
強制整復治療である。

結局、5人がかりでの治療にも関わらず僕の肩は元に戻らなかった。
長時間の治療&整復の失敗で筋肉が完全に硬直しきっているのである。
全身麻酔が行われることになった。

首都に車で治療を避けた最大の理由は、この全身麻酔であった。

脱臼で死ぬことは無いが、麻酔手術は死亡のリスクがある。

辺境の地コパカバーナからわざわざ数百キロ彼方にある
このラパスの病院まで来た意義があると言うものだが、
それでもボリビアはボリビアである。
全身麻酔手術はかけである。

でも、他に方法はない。
一瞬ためらったが、人生初の全身麻酔を決断した。

手術室の照明を見ながら、テレビでよく見る酸素マスクをつけられた。
やばい、遺書を書き忘れた、とぼんやり思いながら意識が飛んでいった。

面白いもので、麻酔はその間の時間の感覚がまったく無い。
一瞬で記憶が戻ったと思ったら、すでに手術は無事終了していた。

医師に何か欲しいものはあると聞かれ、FOOD!とさけんだ。
昨日のお昼以来丸一日何も食べていなかったので、飢えかかっていた。

お肉とポテトという病院食とは思えないような、アメリカンフードが出たが
最高にうまかった。ボリビアのおばさん看護婦たちの手厚い看護の下
結構不自由ない生活をすごせたが、尿瓶(しびん)だけはどうしても
嫌だったので、左手は三角巾・右手は点滴の針が刺さった状況のまま
気合でベットを起き出し、トイレでおしっこをした。

食事が終わると、今までの長旅と昨晩の激痛で眠れぬ一晩を過ごしていた
緊張から開放され、眠りに落ちた。

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by yuheihosono | 2006-07-21 09:27 | 南極・南米旅行記

南極・南米旅行記 第33日目 極限の友情

3月28日 ペルー・プーノ→ボリビア・コパカバーナ&太陽の島
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早朝、チチカカ湖南端のコパカバーナという町へ向かうバスに乗った。

このバスの中ですばらしい再会があった。
マチュピチュで分かれた、ドイツ人のベニーと再会したのである。
最も危ないボリビアに入国前に、信じられる仲間と再会できた。
そして、彼がこの旅行最大のピンチを救う立役者の一人となってくれた。

チチカカ湖は、西部のペルー側よりも南部のボリビア側の方が
美しいとの評判がある。

ペルー滞在中は曇りがちだったので比較は出来ないのだが、
僕がボリビア側の町コパカバーナに到着した時には、
太陽がさんさんとチチカカ湖を照らし出し、空はどこまでも透き通り、
チチカカ湖は真夏の海のように青く輝いていた。
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プーノからコパカバーナへの移動は正解だった。
高地の天気は極めて変わりやすい。
僕はベニーと話し合い、コパカバーナ到着後すぐにチチカカ湖上にある島、
Isla De Sol(太陽の島)へ早速渡ることにした。

この島は、伝説の伝えるところではインカ帝国の初代皇帝が
生まれた土地であり、インカ文明発祥の島とされているところである。

対岸の島から一本のか細い細い電線を通して
電気が供給され始めたところで、電話はまだ開通しておらず、
車が通る道もないため、インカ帝国時代を髣髴とさせる
非常に牧歌的な生活が営まれている島である。

この島へ渡る途中で、スイス人とドイツ人の
二人組みの女の子と知り合いになった。
二人ともスイスの有名な病院で働く看護婦ということで、
3ヶ月の休暇をとって南米を旅しているということだった。

分業制が進んだヨーロッパらしい、素敵なライフスタイルである。
しかし、この時は、この二人がベニーとともに命の恩人になるということは、
まったく想像がつかなかった。
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<左から、ベニー・ドリス・ブリジット>

2時間ほどかけて、ボートは太陽の島についた。
先ほどの二人組みの女の子達が一番見晴らしのいい宿がどこかを
知っているから紹介してくれるという話になった。

ベニーと相談し、彼らと一緒の宿に泊まることになった。
太陽の島は中央部を小高い丘が通っていて
その丘陵地の上のほうに宿舎が作られている。

数年前に作られたガイドブックでは、
宿が二つしかなかったという記載があるが、
いまや20-30の宿舎がひしめいていて、
急速に開発が進みつつある島である。

とはいっても、宿の設備はごくごく基本的なもので、
一泊の宿泊費は200円ほどと、まだまだ観光地というには程遠い、
牧歌的な雰囲気の島なのである。

非常に急傾斜の勾配を上って、
岡の上にある宿泊地にたどり着かねばならない。
しかし、急斜面に作られた段々畑がインカ帝国の末裔
であることを髣髴とさせてくれる。

そして、その畑の急傾斜地とチチカカ湖の青のコントラストが、
インカの昔から変わらぬ風景であることを思い、非常に美しかった。
木陰には何と雪が積もっていた。。。
昼間は強烈な日差しで半袖でもまったく問題はないが、
一体夜になったらどれぐらい寒いのかちょっと不安になった。

丘の上のホテルからの眺めは絶景。
対岸のペルー側が見渡せるところだったが、
四国の島並みを思い出させてくれる風景である。
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島の北岸から100KM彼方へと続くチチカカ湖の水平線を撮影しようと
考えていたが、ベニーと女の子達が泳ぎに行きたいと言い出した。

チチカカ湖の水温は14-5度であるが、
地上では雪が解けずに凍りになっているような場所なのである。
ほとんど、寒中水泳のような泳ぎになってしまう。

でも、チチカカ湖で泳いだ最初の日本人というのは悪い話ではない、、、
結局のりのりでついていくことにした。

道なき急勾配の坂を進むこと30分、麓のビーチ?にたどりついた。
泳ぐのはスイス人看護婦のドリスとベニー…
シャツの下に水着を着用していたので、颯爽と飛び出していった。
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僕は水着が無かったので一瞬ためらったが、トランクスで泳ぐことにした。
ボート用の桟橋からチチカカ湖に向けて飛び込む。

冷たい。。。

口の中に水が入ってきた、、意外と淡白な味である。
チチカカ湖の水を生で飲んだ数少ない日本人だな、との思いが頭をよぎった。

そして、水の冷たさに手足をばたばたと動かして体をあっためようとした。。。
その瞬間、ぐきっ!という音と共に左肩が外れた。

最悪の事態である。

電話も通っておらず、救助を呼ぶには山を一つ越え、
1時間のボートを乗らなければならない場所で肩をはずしてしまった。
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岸にいたドイツ人看護婦のブリジットは脱臼に気づかず
写真をとっていたが、骨が外れたことを伝えると、
さすがに看護婦らしく冷静に事態を受け止め、
泳いでいる二人を呼び戻すために、声をかけていた。

次第に目の前が暗くなっていくが感じられた。
外傷性のショックと湖の冷たさで意識が飛びそうになってしまったのだ。

いくらなんでも湖の中で意識が飛んだら溺死してしまう。。。
必死で意識を保って、ブリジットに助けを求めて岸に上げてもらった。
他の二人もあわてて岸から上がってきた。

しかし、最悪の状況だった。

僕は残念ながら自分で脱臼を治すことは出来ない。
脱臼の痛みは、人によって程度に差があるともいわれるが、
僕にとっては歩行すら困難な激痛が襲ってくるのである。

健常な足で2時間かかる崖の登り降りをして島からの脱出を試みるのは
もはや不可能といえた。

そして、時間はすでに4時である。
あと2時間もすれば酷寒の夜がやってくる。
この濡れた体のまま外気にさらされれば、凍死のリスクも考えられる。

性格的に楽天主義なので、パニックになることこそ無かったが、
どうやってこの場から切り抜けるかとっさの判断が付かなかった。

しかし、このピンチにあって、知り合って間もない
他の3人が敢然と立ち上がった。

スイス人看護婦ドリスは、すぐに服を着ると救助を求めるため、
急斜面の崖を上っていった。
ドイツ人看護婦のブリジットは僕の看護に当たり、ベニーはスペイン語が
できるため近くの小屋を借りる交渉を地元の人にはじめてくれた。

出会ってから数時間しか経っていない見ず知らずの外国人チームが、
僕のピンチのために立ち上がってくれた。

断固旅を成し遂げようと一人旅を続けてきたのに、
この最大のピンチの時に、心から信頼できる友人と2人の
看護婦に囲まれるこの幸運。

何か見えざる力が、自分を支えてくれている気がした。


やがて、ベニーが地元の人と交渉して近くの宿を確保してくれた。

ベットだけが置かれているコンクリが打ちっぱなしとなった部屋で、
電気はもちろん通っていなかった。

ブリジットとベニーが僕を毛布でぐるぐる巻きにして寒さをしのいだ。。。
とりあえず、凍死の危機は免れた。
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暗闇が島を覆おうとしていたとき、2時間ほどして、
ドリスが汗まみれになって帰ってきた。

ドイツ語が母国語のドリスは、偶然島に滞在していたドイツ人の医者を
探し出してくれたのだった。

彼は整形外科医でなかったが、早速肩の脱臼を元に戻す治療に入った。
経験のない人には想像もつかないことと思われるが、
肩の脱臼を直す方法というのは、麻酔が使用不能な状況では、
壮絶としか表現のしようのない方法でなおす。

わきの下に小学校のパイプ椅子の背もたれ部分を入れて固定し、
外れている肩を思いっきり回転させて入れるのである。

意識が飛びそうな程の痛み、である。
絶叫が部屋の中に響き渡る。
あまりの激痛で呼吸が極度に浅く・速くなる。
痛みに耐えるときに舌をかまないようにすることで精一杯だった。

その時、看護婦のドリスが、後ろから僕の頭を強く胸元に抱え込み、
僕の耳元で深くゆったりとした呼吸を始めた。
呼吸を同期させるように、という合図であることは明白だった。

激痛の中でも、わずかながら痛みが引いていくのが分かった。
何より、誰かに抱きしめられということが、これほどまでに深い安心を
もたらしてくれたことは無かった。
ドリスの機転に涙が出そうなほど感動した。

結局、ドイツ人の医師は整復することが出来なかった。
翌朝早く出発しなければならないと言うことで、申し訳なさそうに、
痛み止めの薬だけを置いて帰っていった。

そして、更に2時間後、地元の「医者」となのる人間が来た。
もちろん、正式な医者ではなく、いわゆる医学が発展しない途上国で、
医療行為を任せられているただの村人である。

通常なら、絶対そんな人間に治療をさせることは無い。。。
が、仲間が連れてきた人間を信じることにした。

ドイツ人医師よりも更に凄惨な治療が何回か続いた後、
その自称医者は治ったといって帰っていった。
治っていないのは明らかだったが、これ以上やれば左腕が本当に
使い物にならなくなる可能性があったので、お金を払い
お引取りしていただくことになった。

結局、その夜は脱臼したまますごすことになった。
痛み止めを通常の3倍ぐらい飲んだが、それでも激痛で眠れない。
他の3人、特にドリスは、ほとんど30分ごとに起き上がってきて、
水をくれたり、布団を掛けなおしてくれたり、手厚い看病をしてくれた。

夜明けになったらボートをチャーターして脱出しよう。
それを合言葉に、僕らは長い夜を共に戦った。

その日知り合ったばかりの僕らは、
まるで生涯を過ごした友人のように心が通じ合った。

出会ってからわずか数時間しか時を共有してなくとも、
この極限の状況がお互いの心のバリアを取り払い、
一生涯をかけて築く友情に匹敵する心の疎通をもたらしてくれた。

南アメリカのいかなる大自然も、
この友情ほど僕を感激させてくれたものはなかった。

自分はこの体験をするために、この旅をしたのだ、
そうとさえ思えるような、ある意味幸福な事件だった。
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by yuheihosono | 2006-07-21 01:19 | 南極・南米旅行記