excitemusic

2006年2月から4月で南極・南米を周りました。7大陸訪問達成!連絡先は以下でお願いします yuheihosono@hotmail.com
by yuheihosono
ICELANDia
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
検索
タグ
(1)
(1)
(1)
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:ヨーロッパ周遊旅行記( 39 )

ヨーロッパ周遊旅行記 第二十八日目 プロースト!

2006年 9月3日 フランス パリ→ ドイツ ボン

午前中ルーブル美術館を駆け足で見学した後、

一路最終目的地ボンに向かった。

このボンには、南米チチカカ湖でで脱臼した際に看護婦チームと共に

救助にあたってくれたドイツ人の友人ベニーとの再会があった。

前日の夜遊びの付けがたまって、眠くて眠くてしょうがない。

でも、逆境を共に戦った戦友ともいえる友に会うために、

高速のサービスエリアで仮眠をとりながら、夜10時にボンに到着。

実に、ボリビア・チチカカ湖で別れて以来、半年振りの再会。

チチカカ湖で脱臼をして夜通し苦しんでいる時に、

この夜のことをドイツでビールを飲みながらネタに語ろうと約束を交わした。

ただの口約束で終わらせない。

そのことに、何よりベニーが感動してくれたのが、うれしかった。

ヨーロッパの強烈な日差しの中、毎日600キロのドライブと、

朝焼けから夜景まで風景を追い求めてきたため、

正直体力的に限界だった。

だから、このベニーとの乾杯は、まさに厳しい旅の終止符を告げるものだった。

さらに長い目で見れば、19歳の時以来の、

アジア・アメリカ・アフリカ・オーストラリア・南米・南極・ヨーロッパ

と回ってきた、長い旅にも一つの幕引きを告げるものでもあった。

万感の思いを込めた祝杯。

我々の友情に、プロースト(乾杯)!

人生で一番うまいビールだった。

a0032888_14363324.jpg

[PR]
by yuheihosono | 2006-10-02 14:39 | ヨーロッパ周遊旅行記

ヨーロッパ周遊旅行記 第二十七日目 モンサンミッシェルの朝焼け

2006年9月2日 フランス モンサンミッシェル→パリ

日の出と共にモンサンミッシェルを訪問し、周囲の干拓地から撮影を

試みる。これほど有名な観光地なのに、ほとんど城の周囲から

朝日の撮影を試みる人間がいない。

その理由の一つは、周囲の干拓地が非常に粘着力のある

どろで覆われているからである。

おかげさまで、ジーンズが泥だらけになってしまった。

でも、誰も人がいなかった真の理由は、モンサンミッシェルのガイドブックを

お城で買ったときに分かった。

曰く

「モンサンミッシェル周囲の干拓地は、
一部底なし沼になっているので、立ち入り禁止です」

おーーーーーーい、先に言おうよ、そういうことは。(笑)

そういえば、硬い泥だと思っていたところが、

ずぶずぶ足が埋まっていったところがあったよ。

幸い20センチぐらいでとまったからよかったけど、

底なし沼で撮影しているとは気づかなかった。

かつてこのモンサンミッシェル巡礼は、満潮時に馬の駆け足並みの

速度で満ちてくる潮と底なし沼のため、命がけの巡礼だったそうです。

でも、モンサンミッシェルが朝焼けに染まる姿は、

詩の世界にいるみたいに美しい。

ヨーロッパの文豪達の心を捕まえて話さなかったという

この城の美しさは、世界のいかなる城にも比肩しうると思う。

いつかまた、周囲を水に囲まれたこの城を見にきたい、そう強く思った。

a0032888_14214128.jpg

a0032888_14215453.jpg
a0032888_142231.jpg



モンサンミッシェルを後にし、一路パリに向かった。

パリでは、友人経由で紹介してもらった

パリジェンヌのクレアにパリの案内をしてもらうことになっていた。

ルーブル美術館の5代前からアンティーク業を営む、

バリバリのお嬢さんということで俺の心は高鳴るというよりは、

バリバリに緊張していた。

なにせ、唯一の長ズボンであるジーンズはモンサンミッシェルの

泥を落としたばかりで、まだ半乾きだった。

日本の友人の手前、最低な日本人という印象は避けたかったが、しょうがない。

覚悟を決めて行ってみた。

でも、実際にあってみたら、めちゃくちゃいい娘である。

お客さんを楽しませるという気遣いは日本人をも上回る。

個人主義の国、フランスで気配りの達人に出会えるとは思えなかった。

本当の意味でいい教育を受けてきたんだろうな。

a0032888_14232041.jpg


カフェとレストランで食事をした後、パリの町をドライブしながら

色々解説してもらった。

でも、パリの街は、おそらく自分がドライブした中で最も難しくて、

説明が頭に入らない。

何が難しいかって、パリは石畳なので車線が引いてない。

だから、車が入り乱れて割り込んでくる。

しかも、交差点の中に更に交差点があって、

全部で10個ぐらいの方角に向かえる、スーパーマルチプル交差点

みたいになっていて、右折といってもどれの右折だか分からんのである。

でも、人生でパリジェンヌとパリをドライブという勲章がもらえたから、

よしとするかな(笑)

今日の最後にクラブに連れて行ってもらった。

クレアの友人が更に3人加わり、4人のパリジェンヌと

過ごすという、ある意味最初で最後の体験をさせてもらった。

2時半ぐらいに解散し、車で帰るときも、

クレアは車の視界から見えなくなるまで見送っていた。

人身掌握の天才、豊臣秀吉が人を見送る時は、

相手の姿が見えなくなるまで頭を下げて見送ったという逸話があるけど、

よもやフランス人の女の子に日本人の美学を見るとは思わなかった。

明日は、最終目的地、ドイツ・ボンである

a0032888_14233622.jpg

[PR]
by yuheihosono | 2006-10-02 14:25 | ヨーロッパ周遊旅行記

ヨーロッパ周遊旅行記 第二十六日目 30年の熟成

2006年9月1日 フランス・ボルドー→モンサンミッシェル

僕はワインは嫌いではないが、ブランドにこだわるということが全く無い。

でも、今日はあるワインを求めて、4時間もかけて5つのシャトーを渡り歩いた。

その捜し求めたワインとは、1976年産のワインである。

1976年、そう僕の生まれた年である。

そして、ワインは10月に収穫される。

つまり、僕の誕生日である10月18日からカウントして、

まさにちょうど30年前に僕が生を受けた月に、

この世に生を受けたワインなのである。

この僕と同じ年月をこの世で過ごしたワインを、

生誕30年記念として、親にあげようと思った。

ここ、ワインの聖地ボルドーならば30年前のワインなんて、

楽勝で見つかるだろうと思ったのだが、これが思いのほか難航した。

というのも、1976年はいわゆるワインのはずれ年ということらしく、

どこのシャトーもごく少量の生産にとどまったか、もしくはブドウそのものを

捨ててしまったという回答すらあった。

ブドウを捨てるということは、

その年のワインの生産をあきらめるということである。

この徹底したクオリティへの追求には本当に頭が下がる。

その、ほとんど手に入らない1976年産ワインを探して、

有名なシャトーから、他の老舗シャトーを紹介してもらったりして、

車でぐるぐる回った。

a0032888_1135793.jpg

a0032888_11352090.jpg


そして、4時間を超える苦闘の跡、最後に行き着いたのが、

何度も近くを通り過ぎながら見逃してしまっていた、

一軒のこじんまりしたシャトーだった。

トラクターに乗った若い兄ちゃんに話しかけると、

倉庫に来いといって、古そうな埃だらけの倉庫に案内された。

埃まみれの古い木箱を探し、コルクに記載されているかすかな数字を読み取る。

末尾が6の瓶が見つかったので、発見したと思ったら、

1896年!だった。

いや、ある意味それでもいいです、

と言おうとしたが、値段が怖いので止めておいた。

そして、埃をかぶった箱の棚の奥底から出てきました、

僕と全く同じ年月を経たワインが。

a0032888_11362587.jpg


30年の間、僕との出会いを待ち、倉庫の片隅で眠っていたのかと思うと、

生き別れた兄弟に出会ったかのような感覚。。。。

感無量。

a0032888_11361512.jpg


あまりにうれしかったので、2本3000円でいいというお兄さんに、

2本で6000円を渡し、ボルドーをあとにし北に向かった。

風景を堪能するという意味では、この旅最後の目的地といってもいい、

フランス北西部、モンサンミッシェルへのドライブである。

夕日を見るためにこの旅最高速のドライブとなった。

500キロを休憩込みで5時間でカバー。

モンサンミッシェルに到着したのは、夕日が西の空に傾いた7時ごろだった。

モンサンミッシェルは、広大な干潟のど真ん中に

孤立した島の上に建てられており、

その周囲数キロは木一本すらない広大な空間が広がっている。

背丈の高い草むらの中をドライブしていくと、ある瞬間に突然視界が開けた。

空が茜色に染まる中、広大な地平線の片隅に、巨大なシルエットが目に入った。

圧倒的な存在感、とはこのことを言うのだろうか。

何も無い広大な空間に、ただ巨大なシルエットのみが存在する。

建築物への印象はその周囲の風景との調和で決まる。

ミラノの大聖堂も、バルセロナのサグラダファミリアも、

その周囲の雑然とした雰囲気にそのインパクトを殺されてしまっていたが、

このモンサンミッシェルは数世紀にわたり人々の心を震わせてきた

その風景のまま、今も超然と存在している。

神の絶対的な偉大さや信仰が持つ孤高の表現として、

これ以上の建築物は存在し得ないだろう。

素晴らしい、、、これぞ、欧州最高の世界遺産である。

a0032888_11365642.jpg


せっかくなので、城内も散策してみたが、観光地化されているとは言うものの、

遺跡の保存状態は素晴らしい。

鉄壁の防御を誇ったであろう石造りの建物がらせん状に

島の上層部まで続き、城へと導かれている。

a0032888_11378100.jpg


唯一残念なのは、この日が潮位の低い日だったということ。

モンサンミッシェルの周囲の干拓地は、潮位が高いときには完璧に水没し海の中に、

城が海の中に孤立した状態になる。いくつもの写真集を飾る有名な風景である。

そして潮位が低いときは、数キロ先まで海岸線が後退し広大な干拓地を作るのである。

これは世界最大といわれる12メートルもの潮位差が影響している。

周囲が水没したモンサンミッシェルの写真を城内で見たが、

筆舌に尽くしがたい美しさである。

ヨーロッパの誇りであろう。

いつの日か、必ずこの水没したモンサンミッシェルを見てみたい。

a0032888_11375649.jpg


(夜景のモンサン↑)
[PR]
by yuheihosono | 2006-10-02 11:38 | ヨーロッパ周遊旅行記

ヨーロッパ周遊旅行記 第二十五日目 ボルドーへの道

2006年8月31日 アンドラ王国→フランス・ボルドー

ピレネー山脈の麓の町から、フランスへと移動中、ピレネー山脈に
ぽつんと存在する小国家、アンドラを訪れてみた。

a0032888_10343553.jpg


ピレネー山脈の中ののんびりと風情のある国家というイメージを想像していた。

が、ついてみると谷間の狭い土地に所狭しとショッピング街が立ち並び、
街中で渋滞を起こしている。

ガイドを読むと、ショッピングとスキーで有名な国とある。

周囲に何も無い険しい山脈のど真ん中に、巨大ショッピングモール。

先入観というのは、まったく当てにならないものである。

でも、観光的には見るところ特にない。

山岳風景が美しいという話だったけれど、

ヨーロッパアルプスにはやはり及ばない。

ということで、アンドラはおしまい。

今日も延々とドライブし、夜半にボルドーに到着。

そう、ワイン国家フランスの中でも、ワインの聖地ボルドー。

農園が広がる豊かな風景を想像していたら、これまた裏切られた。

川沿いに寺院と町並みが展開された、

夜景のすごく素敵な町というのが第一印象。

ここの夜景は本当にいいよ。

でも、あまりに疲れてて写真取れませんでした。

残念!
[PR]
by yuheihosono | 2006-10-02 10:34 | ヨーロッパ周遊旅行記

ヨーロッパ周遊旅行記 第二十四日目 トマト戦争

2006年8月30日 スペイン・ブニョル

今日は、トマト戦争の日である。

トマト戦争、それは、毎年8月の第四水曜日、スペイン中部のブニョルという
小さな工業都市の町の一角で、3万人を超える群集が1時間強に渡ってトマトを
投げ合うという、世界屈指のおばかな祭典である。

その起源は諸説あるらしいが、第二次世界大戦後のスタートというから
意外に短い歴史しかない。

が、いまやその知名度はヨーロッパの枠を超え、世界中から参加者が集まる。

到着したときには、開戦まで優に一時間以上なのに、
すでに参加者の一部は服を脱ぎ捨てて奇声をあげながら会場入りしている。

参加者はみんな若い。多分学生ぐらいの年齢が多数である。
そして、ビールを飲んですでに出来上がっている。

ひょっとして、危険? と、かなりビビリながら会場入りした。

a0032888_1754923.jpg


会場は、いわゆる商店街の中の路地なのだが、
朝の埼京線と同じぐらいの混雑度になっている。

町のお店はすべて鉄製のシャッターを閉じているが、群集のプレッシャーで
シャッターが破壊されそうなほど曲がっている。

そして、隅っこにいる自分もシャッターの間に挟まれてつぶされる。

トマトの前に、自分がつぶされないか心配である。

やがて、会場を取り囲む周囲のビルから、参加者に向けて放水が始まった。

何故放水などするのか?

面白いからである。

反撃のしようの無い参加者めがけて、5回ぐらいの屋上から、

住民たちの水の襲撃が始まった。

下の人々は全員びしょぬれ。

でも、参加者も面白いから、もっと水をよこせと叫んでいる。

そして、びしょぬれになったグループたちが、

お互いの着ている服をびりびりと破り始めた。

騒動はどんどんエスカレートしていって、周りにいる人間たちを捕まえては、

シャツを破いていっている。

しまいには、アメリカ人らしき女の子まで捕まえて脱がそうとしていたが

これはアメリカ人の女の子のマジギレによって、阻止された。



そして、11時になった。

開幕の時は来た。巨大な爆音と共に、トマト戦争の開始が告げられた。

興奮した参加者達からは、オーレーオレオレオレの合唱が始まる。

いや、本場の合唱はすごい迫力である。

a0032888_17542332.jpg


そして、開始の音と同時に、それまで放水をしていた

屋上の住人たちが一足先に、用意していたトマトを参加者たちに投げつける。

そして、しばらくすると、スタートポイントから

トマトを満載したトラックがやってきた。

a0032888_17534076.jpg


すでに埼京線の朝のラッシュ並みの道に、トラックが入ってくるのである。

トマトより前にこちらがつぶされている。

そして、そのつぶされて身動きが取れないでいるところに、

トラックの上にのった連中から、トマトの集中攻撃が浴びせられる。

バシャ・バシャと、周囲の背の高い外人男性陣が、トマトの顔面直撃を

食らった音が響き渡る。

まさに、自分の味方が戦争で被弾したときってこういう感じなのね、

というのがリアルに想像できる音である。

なので、音がする度に、ライアン二等兵戦死、

などと心の中で模擬戦争を楽しんでいた。

しかし、余裕があったのもここまでである。

2台目のトラックが入ってきて、目前5メートルでとまった。

そして、トラックの荷台が斜めに傾き、、、、膨大な量のトマトを残していった。

トマト戦争開戦である。

初めて実弾を得た兵士達は、膨大な量の弾をお互いに向けて投げ始めた。

こうなると、360度すべての方向からトマトが飛んできて、避けようが無い。

しかも、トマトだけじゃなくて、ぬれたシャツとか、水鉄砲とか、水中眼鏡とか、

ビーチボールとかぜんぜん関係の無いものまで飛び交ってる。

一瞬で、参加者全員、全身トマト色。

a0032888_17551680.jpg


これ、けが人が出ても誰がけが人だか全く見分けがつかん。(笑)

そして、一時間後、試合終了の空砲がなった。

あまりの乱戦で、ビニールに入れたデジカメ出せず。

ということで、終戦後のショットがこれ。

a0032888_17552958.jpg


いや、うん、狂ってるね。一生に一回はおもろいので行くべし。

でも、心に残る感動!とかそういうもんではないかな。

やっぱり、いきなり飛び込んで参加して終わりよりも、

自らが仕込みに仕込んで練習を重ねて技を披露する

するプロセスを経て、初めて本当に感動するイベントになるんだと思う。

やっぱり、お祭りは自分が主催者じゃなきゃね、と思ったトマト戦争でした。


午後、バレンシアから車を飛ばして400キロ北にあるバルセロナに。

目的は、あの有名なガウディのサグラダ・ファミリア教会を見るため。

感想は、うーーん、まだ保留です。

というのは、まだ完成度50%未満といったところで、評価のしようがない。

a0032888_1812512.jpg

a0032888_1821646.jpg


ただ、モダンで教会に似つかない華やかな飾りが多く、

今まで見てきた中世の教会建築とは似ても似つかないものになっているのは確か。

でも、なんか、垢抜けすぎてるんだよね。。。

なんというか、あの場所に僕は神を感じない。

すごいとは思っても、神聖さというか、神に対する深い畏敬の念、「重み」

を感じないんだよね。

そして、立地条件も厳しい。

いかなる建築物も、その周囲の風景との調和が無ければ、

人の心をうつことはできないと思うのだけれど、このガウディの偉大な建築物は、

残念なことに大都市バルセロナの目抜き通りの前にある。

こんなにぎやかな場所では、神の神聖さとか偉大さは感じられないのです。

完成したらまた見たいけど、完成まで100年ぐらいかかるらしい。

僕が死ぬまでに、何とか作ってくれないかなぁ。。。?

ということで、バルセロナをわずか滞在2時間でクリアし、

更に北方のピレネー山脈近くの宿に投宿。

長い一日でした。。。
[PR]
by yuheihosono | 2006-10-01 18:05 | ヨーロッパ周遊旅行記

ヨーロッパ周遊旅行記 第二十三日目 アフリカ対岸にて

2006年8月29日 スペイン・グラナダ

アルハンブラ宮殿は世界遺産に指定されて以来、

入場数の制限が敷かれている。

しかも、事前の電話もしくはWebの予約で半数が埋まってしまうため、

当日券はかなりの激戦になるのである。

しかし、世界中どこの観光地もそうであるが、

本当にその遺跡の持っている雰囲気を楽しみたいならば、朝一番に

入場し、遺跡と一対一で対面することは必須である。

欲しいものがあるなら、相応の努力を惜しんではいけない。

ということで、早朝6時台から列に並び、8時の入場の第一陣に入ることができた。

アルハンブラ宮殿に入場したのは、40番目ぐらいだったはずだったが、

競歩並みの速度で並み居る観光客を押しのけ、宮殿のメインである中庭に到着した

時には何故か2番目の入場だった。(一番は、宮殿そのものに宿泊した日本人の方)

宮殿の中に入ると、そこは水の王国。

宮殿のいたるところに、水路がくまなくしかれ、噴水が敷設されている。
a0032888_15591645.jpg


このグラナダから海を隔てた南の地には広大なサハラ砂漠が広がり、

北の地には荒涼とした灼熱の乾燥地帯が広がる。

スペインの大地に焼かれながら2日間のドライブを遣り通してきただけに、

砂漠の民が水と緑の楽園が、アラブの民にとってどれほどの希望だったのか、

痛いほどよく分かった。

a0032888_1559633.jpg
a0032888_15592714.jpg



午後、昨日見えなかったアフリカに挨拶をしに、一路南へ向かった。

明日のトマト戦争に参加するには北に500キロ上がらなければならなかったが、

どうしても、旅の区切りとして、海が見たかった。

南へ進むこと、50キロ。アフリカ大陸の対岸に到着。

とりたてて何も無いビーチ、である。

が、不思議な達成感が胸に沸いてきた。

19歳の時、世界を見ようと決意した夏から10年。

写真に自らが見た世界を残そうと決意した夏から5年。

20代最後の旅の、一つの到達点がこの名も無いビーチだった。

はるか水平線の彼方にあるアフリカ大陸を前に、

自分がたどってきた7つの大陸のことに思いを馳せた。

自分は、人生の一つの大きな区切りを終わらせたのだ。

両手を天高く掲げ、一人、ガッツポーズした。

a0032888_1623675.jpg

[PR]
by yuheihosono | 2006-10-01 16:02 | ヨーロッパ周遊旅行記

ヨーロッパ周遊旅行記 第二十三日目 牛追い祭りとアルハンブラ

2006年8月28日 スペイン・San Sebastián de los Reyes

スペインの牛追い祭りといえば、パンプローナの牛追いが有名である。

が、その有名な牛祭りは、7月に開催されるため、8月末に開催
されるトマト戦争と一緒に参加することは現実的でない。

しかし、パンプローナ以外にも実は牛追い祭りが行われているという
情報がネットに記載されていた。

この町は、マドリッドから電車で30分というアクセスのよさもさることながら、
8月24日から31日までの毎朝牛追いをやっているため、
8月30日のトマト戦争とコンボで参加ができるというメリットがある。

行くっきゃないっしょ。

ということで、バルセロナからはるばる500キロ、
このロスレイエスの町までやってきた。

牛追いは、なんと早朝8時から開始されるのだが、
連日のドライブで疲労困憊だったため、起床は遅れに遅れた。

自分のタイマーでは目が覚めず、ホテルのフロントに頼んでおいた
モーニングコールで何とかベッドから起きたのが、7時半。

あせってホテルを飛び出し、会場に着いたのが15分前。

会場はもう参加者で膨れ上がっている。

思いっきり走れるかと思いきや、体が触れ合うぐらいの満員状態。

これでは、牛が来ても逃げ場が無い。

参加者たちは日本なら大学ラグビー部からすぐスカウトがきそうな

マッチョマンたち。

そして、血の気の多いスペイン人よろしく、みんな殺気立っている。(泣)

撮影用にD70のカメラを持参しているのだが、
どう考えても、ひとたび牛が来たら撮影なんて不可能である。

でも、ここまで来て逃げるのも、もったいなさすぎる。

ということで、安全第一のポリシーの崩壊を感じつつも、
スターティングポジションに着いた。

その時、後ろから警備の警官チームに声をかけられた。

ふと振り向くと、警官チームに腕をつかまれ、会場の外につまみ出された。

あわてて、戻ろうとしても、警官チームに道をブロックされてしまう。

どうも、カメラ持ち込みは危険すぎるため禁止らしいのである。

ということで、はい、結局会場の外から撮影になりました。

でも、今回だけはちょっとほっとした。

こんな冒険ばかりしている風に見える自分がいうのも何だが、

無事に帰ってこその旅である。だから、止めた事は正解だったと思う。

他人に止められて、自分のポリシーに気づくというのも間抜けな話だけどね。。


午前八時、空砲の音と共に牛追いがスタートした。

閉じられていたスタートゲートが開かれ、参加者たちが

闘牛場に向かって走り出す。

はじめの数十秒は、牛ははるか後方の枠の外にいるのか飛び出してこない。

観客の中で、勇気ある一群は、牛が走ってくるのを待ち受けている。

a0032888_12301313.jpg


そして、後方から一斉に人の波が動き始めた。

5-6頭ぐらいが、人間の全速力を上回るスピードで駆けてきた。

とてもじゃないが、走って逃げ切れるスピードじゃない。

でも、牛達はワンサイドに固まっているので、

逆サイドに逃げ切れば何とか無事に済む。。。

でも、問題は、みんなが同じ行動を取ることである。

レスラー並みのマッチョマン達が、

逃げようとお互いを突き飛ばすので転倒者続出。

そして、その上をお決まりのように、牛の一団が駆け抜けていく。

わずか数秒の出来事。

a0032888_12295252.jpg


映画の戦闘シーンの後のように、後には、
負傷者達が道路に2-3人倒れている。

a0032888_12303697.jpg


僕が見たのは、序盤の最も牛の速度が遅い段階である。

それでも、これだけの大混乱である。中盤以降がどうなったか、

非常に気になるところであるが、牛の逆流を防ぐために、

闘牛が行われるメイン会場へ向かう道はすぐに封鎖されてしまった。

15分ぐらいしてから封鎖が解かれ、メイン会場に向かった。




メイン会場では、牛追いに使われた牛たちの中の一頭が会場に放たれ、

牛追いの参加者たちと牛の追いかけっこが繰り広げられている。

しかし、参加者たちは地元の人間が多いのか、避けるのがとてもうまい。

もし一直線に逃げれば牛の速度が速いので捕まってしまうが、曲線を描くように

逃げれば牛は急な転回ができないので、そのまま行ってしまうし、

スピードが殺されてしまうのであたってもそれほど怖くない。

a0032888_12292683.jpg


でも、たまに、逃げる途中で転ぶ参加者がいて、

観客は興奮に包まれるのだが、牛は転んだ人間の手前でストップして、

他の参加者に向かっていく。

そう、牛さんは、実は結構心優しいのである。

目が慣れてくると、やさしい牛にちょっかいを出すいたずらっこたち、

という構図が鮮明に見えてしまう。

どうせなら、一人ぐらい華々しく牛の前に散って、スペインの男っぷり

を見せて欲しかったなぁ。。。

a0032888_17102270.jpg

a0032888_17104895.jpg
a0032888_1711047.jpg



今日の目的地のスペイン南部・グラナダに到着。

このグラナダには、スペインを代表する建築物、アルハンブラ宮殿がある。

アルハンブラは、赤い宮殿といわれ、夕日の中に真っ赤に染まる風景が

特に有名なのである。

当然、僕もこの風景を見るべく準備をしていた。

が、突如として、その前にこのグラナダから海峡を隔てて横たわる

アフリカ大陸を眺めて見たいと思ってしまった。

この20代最後の長期旅行であるヨーロッパ旅行の最南端の訪問として、

アフリカ大陸に挨拶をしたいと思ったのだ。

観光案内所のおばさんに聞くと、グラナダの後方にあるシエラネバダ

山脈に上れば、アフリカが見えるという。

ということで、シエラネバダ山脈に向けてドライブをした。。。。

眼下にグラナダの町を望みながら、風光明媚で名高いシエラネバダを

登った。。。が、途中の観光案内所のおばさんに衝撃の事実を聞いた。

アフリカ大陸は、自分が登っている山の反対側だった。

つまり、3000メートルを越す山の頂上に立たなければ、アフリカは見れない。

片道3時間のトレッキングあればいけるといわれたが、

絶対日没までには間に合わない。

ということでこれまで2度訪れたアフリカ大陸との再会を断念し、

一路アルハンブラの夜景を見に下山。

でも、不幸は重なるものである。

アルハンブラ宮殿の周囲の公園にカーナビをセットしたのだが、

アルハンブラの周囲の道は、数百年前から続く石畳のきわめて狭い道で、

一方通行の連続である。

全く近づけない。

途中で車を乗り捨て、公園に駆けつけたが、夕日の直後。

やっちまった。。。。有名なアルハンブラの夕焼けを見逃した。。。

やはり落日後は、赤のつき具合がいまいちなのである。

a0032888_13385442.jpg


でも、捨てる神あれば、拾う神あり。

アルハンブラ宮殿を後にし、グラナダの町へと降りる坂道で

素晴らしい光景を目にした。

日没後の残照が地平に残る中、グラナダの町に明かりがともりはじめていた。

そして、上空には、イスラムの象徴である三日月が顔を出していた。

a0032888_13391283.jpg

a0032888_13455589.jpg


夕暮れの中、イスラムの古都にかかる三日月。

この完璧な組み合わせ。

トラブルも、幸運も常に背中合わせで起きる。

旅も、人生も、不思議なバランスに満ちている。

a0032888_13393669.jpg

a0032888_13394819.jpg

[PR]
by yuheihosono | 2006-10-01 13:32 | ヨーロッパ周遊旅行記

ヨーロッパ周遊旅行記 第二十二日目 灼熱の大地

2006年8月27日 スペイン バルセロナ→マドリッド近郊


スペインの大地。

空はどこまでも晴れ渡り、大地の果てまで雲のかけらすら見当たらない。

大地は乾ききり、グランドキャニオンや
南米のパタゴニアを思わせる、荒涼とした大地がどこまでも続く。

スイスで日中20度台前半だった気温は、35度を超えている。

フランス・ドイツ・イタリアが緑豊かな豊穣の大地なのに比べ、
ピレネー山脈を隔てた南側は、非常に厳しい大地である。
a0032888_18234469.jpg


シエスタ、という考え方がなぜ生まれたのか、この大地に来ればよく分かる。
夜9時まで続く日照の中、酷暑の2時・3時に厳しい日差しを避けて
休養を取るということは人間の自然なリズムが
見つけ出した知恵なのである。
a0032888_18304879.jpg

(上記高速のパーキングで昼寝しました。日陰が見つけにくいんだ。)

夜、マドリッド近郊に到着。
明日朝は牛追い祭りである会場を下見。

牛追いのメインとなる道は、全長500メートルあるかないかぐらいである。

印象的なのは、道幅の狭さ、
5-6メートル程度しかない。
道の両側は、非常に頑丈そうな木製の枠で覆われている。
a0032888_1830203.jpg


こんなところにたくさん牛を放したら一体どうなってしまうのか?

スタジアムまで逃げ切るしかない。

いや、でも、どう考えても牛より早く走るのは厳しいだろう!

絶対無事に帰る、をモットーに旅をしてきたのに、
今度ばかりは自信がもてない。

ぬぬぬぅ。

明日の朝、また決断しよう。
[PR]
by yuheihosono | 2006-09-30 18:30 | ヨーロッパ周遊旅行記

ヨーロッパ周遊旅行記 第二十一日目 地中海ドライブ

2006年8月26日 イタリア ジェノバ近郊→スペインバルセロナ近郊

今日は地中海の海岸線を900キロドライブ。

朝、素晴らしい風景に出会った。

イタリアからモナコに抜ける時、そのヨーロッパアルプスの最後の
山間部を通った。

緊張を強いられる急峻なトンネルの連続に辟易していたところに、
突如として地中海の紺碧の海が目の前に広がった。

劇的な視界の変化に、声を上げてしまった。

南部アフリカを周遊したときもそうだったが、厳しい内陸の旅を抜け、
海に出会うとき、まるで我が家に帰ってきたような
懐かしく暖かい気持ちに包まれる。

かつて、古代人達が、命がけでアルプスを抜けてきて、
地中海の紺碧の青に出会った時の感動は、
いかばかりだっただろうか?

母なる海、その言葉の意味を実感した瞬間である
そして、地中海一のリゾートであるモナコに到着。
a0032888_16403679.jpg


それまで、急峻な崖にへばりつくように家がまばらに散っていたのが、
ごく狭いこの一角にだけ、高層ビルが林立し、
大型のクルーザーが大都市の路上駐車のように
ところ狭しと並んでいる。
a0032888_1640764.jpg




膨大な資本がこのわずかな土地に投入されているのがよく分かる。

時間が無いので、一時間ほどサンドイッチをほおばりつつ散歩しながら、
モナコを後にする。

モナコのすぐ隣30キロほどのところに、これまた世界的に有名なニースの
町があるが、時間の関係上パス。

その他の地中海沿岸の著名都市群、マルセイユ・モンペリエ等も、泣く泣くパス。

わずか一日で、フランスを突きぬけ、一気にスペインバルセロナに到着。

本当は、地中海沿岸で一泊の予定を一気に一日縮めた。

これで、明後日の朝には牛追い祭りへの参加の見通しが立った。

自分を支えてきた、昔の旅の情熱が戻ってきた。

あと一週間、強烈なスケジュールが続くけどがむばるぞ!
[PR]
by yuheihosono | 2006-09-30 16:44 | ヨーロッパ周遊旅行記

ヨーロッパ周遊旅行記 第二十日目 再出発

2006年8月25日

すでに当初の予定より4日間スケジュールは遅れていた。
今日のうちに、600キロ先のイタリア・ジェノバまで進めなければ、
スペインで予定している牛追いかトマト戦争をあきらめる必要があった。

600キロは東京・神戸に匹敵する距離である。
ヨーロッパアルプスを夜越えることは避けたい。
できる限り早朝の出発を目指し行動を開始した。

9時に届く鍵を取りに行くため、7時にジュネーブのユースホステルを出発。
30分で到着するところが、電車を2回乗り間違え、8時20分に到着。

でも、余裕で鍵の到着を待てるはずだった。

しかし、郵便配達人はこういう日に限って、勤勉である。

なぜか、すでにポストには配達証明が入っている。

ドリスの名前で来ている郵便物なので、隣町の病院で働くドリスの
ところまで行き、身分証明書を借り受け、郵便局にいく。

身分証明書を受け取り、郵便窓口で郵便物の引渡しをお願いする。

が、、、ついてない時はどこまでもついていない。

郵便配達の人間が郵便物を持っているので今日はあきらめろと言ってくる。

でも、ここで引き下がるわけには行かない。

だって、もう、帰る家が無いんだもん。

ということで、何とかしてくれと、泣き落とし。

そして、郵便配達人が帰る午後の3時にまた来いということになった。

運命の3時。

5日間待ち続けた鍵を、ついに入手。
a0032888_16161788.jpg


車のトランクを開けると、そこには、もう一つのキーが博物館の展示品のように
きれいに保管されていた。

鍵一個で食らった足止め5日間。

アフリカでも南米でも南極でも記憶に無いこの挫折。

でも、その挫折で蓄えられたエネルギーが一気に噴出した。

時間は午後4時を回っていた。

夜のアルプス越えを覚悟する必要があった。

でも、久しぶりに得た行動する自由の前にはそんなこと関係ない。

時速120キロでスイスの山道ドライブに突入した。

スイスの山道ドライブは、実はかなりの緊張を伴う。

トンネルの連続の上で、かなり勾配がきつく、更にトンネル自体が
急カーブなので前が見えないのである。
(どういう設計思想なんだろう?)

父とのドライブ中にも一度、カーブを抜けた先に道のど真ん中で
車がエンストしていて、危うく追突しそうになったこともあった。

そして、今日も、トンネルのど真ん中に、破裂したタイヤが落ちていた。(泣)
しかも、キャンピングカー用のでかいタイヤ。

幸い隣のレーンだったので僕は大丈夫だったが、
僕と併走していた車がいた。

彼は強烈な急ブレーキをかけ、
そして後方から衝突音がした。

一体彼はどうなったんだろう?

併走していた彼がパニックになって、
俺の方にハンドル切っていたら、やばかった。

彼の冷静な判断に救われた。

ジュネーブを出ると、スイス国境付近での休憩。

3時間近く極度の緊張状態で走ったため、
車を降りた瞬間にめまいで倒れそうに。

でも、何とか持ち直して、イタリアの北部の平原地帯に進入。

イタリア北部の穀倉地帯で夕暮れを迎えた。

それは、心打たれる風景だった。

麦畑の彼方に夕日が沈むとき、空はフラットな地平線を赤く染め、
大地は小麦の黄色に染まった。

ところどころ、まばらに立つ木々が幻想的な
シルエットを作り出している。

もし、もう少し時間が与えられていれば、ぜひあの風景に佇んでみたかった。

名も無き土地に、世界のどこにも負けない風景がある。

その事を教えてくれる典型的な例だった。

夜もとっぷりくれた頃、ジェノバに到着した。

が、ジェノバは町の雰囲気が怖い。。

町に人通りが無い。

コロンブスを生んだ港町なのでぜひ一泊したかったのだが、
国際的な港町は確かに治安が悪いケースが多い。

ということで、ジェノバの隣町まで行き、その日は一泊。

実に8時間で600キロをぶっ通しで走った。

写真が撮れなかったのは残念だけど、また旅が進展を見せた。

明日は、古代よりヨーロッパ史を彩ってきた地中海のドライブである。
[PR]
by yuheihosono | 2006-09-30 16:16 | ヨーロッパ周遊旅行記