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2006年2月から4月で南極・南米を周りました。7大陸訪問達成!連絡先は以下でお願いします yuheihosono@hotmail.com
by yuheihosono
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最後の贈り物

水曜の朝、父の母親が亡くなり、土曜日にお通夜をしました。

母方の祖母とその兄が昨年相次いでなくなったのとあわせ、

戦争の混乱と戦後の繁栄という激動の時代を耐え抜いた、

一つの世代が旅立っていくのを感じています。

この会社を離れて時間が取れる時期に、

父方と母方の祖母の最期の時間を共有させてもらえたことは、

実に幸せなことでした。

この二人は、性格から最期の瞬間まで実に対照的な

人生を歩みました。

母方の祖母は、陽気さという言葉を体現したような性格で、

どんなところにいても友達を作ってくる人でした。

十分すぎるほど富裕な家庭に育ったものの、

戦後の混乱で家業は潰え、ぐうたらなおじい様(僕には優しかったけどね)

のおかげで、女で一人で4人の子供を育て上げ、

彼らは事業家や経営者として見事に花を咲かせました。

だから、彼女が倒れた時には、息子達や孫も総出でお見舞いに

駆けつけ、最期も無事に親族に看取られていきました。

一方父方の祖母は、伝統とかしきたりを重んじる非常に

物静かな人でした。

父方の実家も、かつて相当な資産があったらしいのですが、

一族共同で始めたビジネスに失敗し、

金銭関係のもつれから、親族同士の関係は分裂し、

先祖伝来の土地も間もなく手放すという状況であったため、

互いに連絡さえ満足に取れないという状況がつづいていました。

祖母が倒れたらしいという情報が、親族の一人を通じて入ってきたのが、

昨年の年末でした。

唯一中立に近い立場で、実家に帰れるのが僕だけだったので

長兄である父の代理として、お見舞いに行きました。

祖母は、もう部屋の中を歩くのも精一杯だったので、

人生で初めて僕から祖母にお茶を入れ、何か自分にしてあげられることは

ないかと聞いたところ、遺言を残したいから父を連れてきて欲しい、

とただそれだけを何度も繰り返し言われました。

体調がよくないとはいえ、何か致命的な病状があるわけでは

なかったのに、その言葉には不思議な説得力があり、

この人は本当に死ぬんだと直感的に理解できました。

必ず父を連れてくると約束し、年末の一番最後と年明けに父と祖母との

最後の時間を作ることができました。(これは、本当に苦労しました。。。)

そして、今週の水曜日、祖母は自宅で倒れているところを発見され、

翌朝病院で親族が駆けつける間もなく一人で亡くなってしまいました。

祖母の兄弟はまともに話も出来ないような状況だったのですが、

さすがに葬儀とあっては、全員顔合わせをしないわけにはいかず、

数年ぶりに一族が顔を合わせました。

初めのうちこそ、本当に修羅場だったのですが、

自分達の母親の遺体を前にしては、怒りよりも思い出が上回るようで、

一日が終わる頃にはお茶を飲みながら歓談をするまでになっていました。

祖母は決して幸せな晩年ではなかったし、

土地も財産も残すことはできなかったのですが、

家族の平和、

というこれ以上ない贈り物を、最後に残してくれました。

母は、やはり、偉大でした。
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by yuheihosono | 2007-01-28 03:18 | 日常
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