痛恨の一撃 |
土曜日、祖母が緊急入院。 徹夜明けで、昼過ぎに起床し、メールボックスを開けると父からメールが一行。 「イエ婆さんの容態深刻。至急連絡されたし」 元気が売りだったばあちゃんが、入院?容態深刻? 携帯を開いてみると、親からの着信が画面いっぱいに一列に並んでいる。 状況理解ができないまま、あせって親に携帯を連絡するもつながらず。 親族に電話して入院先を聞き出し、多摩の病院に急行。 死に目に会えなかったらどうしよう、と半ばパニック状態で病室に入ると、 めっちゃ元気そう。その祖母から発せられた第一声、「ゆうくん、結婚はいつするの?」 その後、機関銃のように一方的に話しまくる。とても死に掛けていた人とは思えない。 病室の他の5人の患者の皆さんは石造のように固まっているのとは対照的に、 僕を圧倒する勢いで元気に話しまくっている。 が、看護婦さんに話を聞くと、昨晩の容態は本当に深刻で、夜間に彼女の4人の子供は終結していて、病状を確認し、一応の安定を見たので早朝に解散したとの事。 本人は、自分の病状が深刻だという認識も全くしておらず、死ぬなんて微塵も考えていないようだった。 本当に元気そうなので安堵して、親族のみんなにばあちゃん元気の連絡を入れた。 でも、その話しぶりに不自然さがあった。何か、今話さなければ話す機会がもうない、というぐらいにとどまることなく話をし続けている。彼女の顔には死の影など微塵も感じられない。でも、何か心の片隅にやな予感がしたので、彼女との29年の付き合いで、一番真剣に話を聞き続けた。3時間ほど病室に滞在して、まず今日は大丈夫ということで、安心して帰宅した。 日曜日の朝、つまり今朝、パソコンのメールを開けると父から一行。「祖母容態急変。人工呼吸器装着。至急連絡されたし。」。携帯を見ると、また画面いっぱいの着信履歴。 家から飛び出し、そのまま多摩の病院に直行。途中の電車で祖母との思い出がよみがえってきて、ちょっと涙がほろりと来た。 昨日とは状況が一変していた。病室も集団部屋から、緊急処置室に移され、人工呼吸器の下で昏睡状態に。あれほど元気だったのに、今や機械によってかろうじて命をつないでいるのを見るのはショックであった。お医者さんと話したところ、肺炎を起しているらしく、血中酸素濃度が低下しており、人工呼吸器で100%の酸素を送り込むことでなんとか生命の維持をしているとの事。ただ、100%の酸素を送ることは体にとって相当に有害なことであるので、このレベルの酸素補給は最大2日ぐらいが限度だろうとの事だった。彼女の89年の人生に、初めて本格的なカウントダウンが告げられていた。 僕の両親は共働きのため、保育園・小学校時代を通して学校の後は毎日このおばあちゃんの家に預けられていた。親とおなじかそれ以上の時間を幼少期には過ごしたため、僕の人格形成に多大な影響を与えてくれた人である。祖父が仕事をしない人だったため(でも僕をとってもかわいがってくれたのですが)、戦後女手一つで洋服屋を切り盛りし、四人の子供を学校に生かせるという苦労人な半生をおくっている。でもそんな苦労など微塵も感じさせない快活極まりない性格であり、また非常に好奇心あふれる人でもあった。85歳になってから英会話と水泳を始めるなど、自分に限界を設けるという思考が完全に欠如していて、いつも彼女の近況を聞くたびに自分の発想の貧困さを思い知らされた。 2月に会社を退職した際に、どうしてもかなえたい夢が3つあった。一つ目は、南極と南米を旅して世界7大陸周遊を完成させること。2つ目は、次の10年自分が全力で打ち込める題材を探すこと。3つ目は、これまで時間を共有することがなかったおばあちゃん&両親と旅行をすること。 来月には祖母ちゃんとどこか行こうと自分の中で計画を立てていた。そんな矢先の今回の容態急変だった。 彼女の容態はここ2-3日がヤマ。そして、この2日間明け方に悪化する傾向にあるので、あと数時間が本当の勝負。神様、あと一年、彼女に寿命を与えてください。まだ、いっぱい話したいことがあるんです。僕の結婚式も見せてあげたいのです。普段信じてないのに都合がいいとは思いますが、どうか、どうかお願いします。 |
by yuheihosono
| 2006-05-22 00:35
| 日常
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